強きをくじき弱きを助けるのは人の道



ジョニー・デップが演じたユージン・スミスの伝記映画が作られたんだが、水俣市が後援拒否、というので、まぁ、市のイメージダウンだもんねw ユージン・スミスは第二次大戦に従軍したカメラマンでも運良く生き残って、いちおうは天寿をまっとうしたと言えなくもないが、60歳で死んでます。モノクロ写真時代で、プリントには物凄く熱中する人で、暗室にこもると、三日間くらい出てこなかったというw まぁ、暗室には水だけはあるからねw

 水俣病を世界に伝えた米国人写真家のユージン・スミス(1918~78)を人気俳優のジョニー・デップが演じる映画「MINAMATA―ミナマタ―」について、地元有志らが熊本県水俣市で8月に開く上映会の後援を、市が拒否していたことがわかった。市は「映画の内容が不明」などと理由を説明している。

そんなユージン・スミスの代表作がコレです。沖縄戦で自らも負傷し、リハビリ中にニュヨークで撮られた写真。https://topmuseum.jp/upload/3/2927/Eugene%20Smith.pdf

W. ユージン・スミス(1918-1978)は、写真史上、もっとも偉大なドキュメンタリー写真家のひとりです。グラフ雑誌「ライフ』を中心に「カントリ ー・ドクター」、「スペインの村」、「助産師モード」、「慈悲の人」など数多くの優れたフォトエッセイを発表し、フォト・ジャーナリズムの歴史に多大な功績を残しました。 とりわけ日本とのかかわりが深く、17歳のときニューヨークで偶然であった日系写真家の作品につよい感銘をうけ写真の道を志すきっかけになったこと、太平洋戦争に従軍して、戦争の悲惨で冷酷な現実をカメラで世に伝えんとして自らも沖縄戦で重傷を負ったこと、戦後の日本経済復興の象徴とも いえる巨大企業を取材した「日立」、その経済復興の過程で生じた公害汚染に苦しむ「水俣」の漁民たちによりそった取材などがあります。

単なる報道写真ではなく、強いメッセージ性を込めた力強い写真で、世界に訴えかけ、日本政府が隠していたミナマタが隠しきれなくなったのは、ユージン・スミスの功績です。

【ユージン・スミス】 デップ主演映画上映、水俣市が後援拒否「制作意図不明」

雅子と関係あるって本当?

↑バリバリ関係あるよ
そしておじいちゃまが悪く言われるの…とほざいたんやで

そして水俣の慰問を頑なに拒否してるから秋篠宮殿下が行かれてる

水俣病なんてパヨが捏造した都市伝説だし、実際公文書館調べても、一つも公文書も残ってないから

↑ネトウヨて嘘いかつけないんだね

日本人じゃないんだろうな

↑何十年後かには東京五輪は国民全員が盛り上がった大会になるんだよな

先週すでに「池江璃花子は誹謗中傷などされていない!辞退をお願いしただけ!」という脳みそ干上がった奴もいたし

↑世の中にはコイツみたいな超絶バカがいるんだな。

↑これが日本四大ネトウヨ病の一つ

パヨパヨ病です

そもそも水俣市はチッソ側ってあとで知った。

↑国全体がチッソ側だった
無機水銀が有機水銀に変わることを証明した東大講師?は再任されなかった

国が国民を守らなかった

嫁へのDVでハリウッド干されてこんな三流映画に出るようになったのか

世界一出演料稼ぐ男とまで言われてたのにひどい凋落だな

↑ジョニー・デップはもともと
インディペンデント映画に積極的に出る男

むしろ最近ハリウッド大作に出てたのがデップらしくなかった

今でもチッソはあるわけだし敵に回すようなことはしたくないよね^^

↑最早被害者に賠償金を払うためにだけ存在する清算会社で事業会社ではない

新潟水俣病を起こした昭和電工やカネミ油症事件の原因を作ったカネカみたいに今も何食わぬ顔で事業存続してる会社ではない

映画のイメージがもたらす市のイメージ低下を懸念かな
知らんけど

これ拒否するのっていかにも老害臭いわ

今の若い人なら真逆の考え方な気がする

ユージンスミスは行動が怪しいからしょうがない

↑日立でも入っちゃいけない所にどんどん入って行って止めるの

大変だったってカバン持ちさせられた人が言ってたわ。

「水俣」が世界中から偏見や差別の目で見られる可能性もあるしなあ
武漢と同じだよ
どんなに出来のいい映画でもちゃんと観てないと誤解を生む
市としては諸手を挙げて賛成とはいかんだろうな

やっぱり病名に地名を使うのは良くないわ

9月の全国公開を前に、地元有志による実行委員会が8月に上映会を開くことを計画。6月に市に名義後援を申請したが、後援できないとの回答があったという。

 市は取材に、映画が史実に即しているかや制作者の意図が不明で、被害者への差別・偏見の解消に資するか判断できない、と説明。水俣病を過去のものとして忘れたいという市民もいることを踏まえ、後援が適切か分からないとしている。

水俣なめんな!小さな頃からどんだけ差別されて育ってると思ってんだ!義務教育で水俣病教えるせいで野球の大会に行っても修学旅行で他の学生と会っても水俣病とバカにされる屈辱わかれ!

↑怒りの矛先が違う

大企業が庶民を犠牲にした悲惨な事件を風化させて良いわけが無いだろう

批判してる奴はどういう立場なんだよ

↑俺たちニュー速+愛国烈士に政府の人間のつもりさせたり搾取する大企業の経営者のつもりさせたら世界一だからな

↑一体どういう心理が働いているんだろうな
政府や大企業の応援をしたらおこぼれにあずかれるとでも思ってんのかな

向こうは恐らく同じ人間とも思っていないのに

↑業者に決まってんだろ
大手広告代理店が請け負っても中抜きの果てに実作業は自給200円の障害者作業所だぞ

安倍をアクロバット擁護してた連中にも日本語が怪しいのが沢山いただろ

役人でかつ消極的ながらチッソ側なんだから

暴力団動員して怪我させたとか潰しにかかったなんて物語に協力できるはずがない

ユージン・スミスって60なんかで死んだのか

70代の爺としか思えなかった

↑ユージンさんは会社が雇ったヤクザに片目をつぶされた

↑娘さんも暴行されてたよね
水俣の惨状を正しく伝えたかっただけなのに

ひどい

ジョニーデップって仕事ないのか?

↑ジョニーは演技もクセがあるし、割と思想的な発言が少なくないんよね。まあ、金はうなるほどあるだろうし、作品になんか惹かれるものがあったんだろ。

10数年前の特措法による水俣病認定が問題なんだよ
五万人が診察受けて四万人が水俣病認定っていったい何だったんだ
ザルというか猿芝居で殆どが水俣病にして税金で面倒みてる

共産系大活躍でこうなった

↑水俣から引っ越した人は放置だけどな
実際不知火海周辺全部を対象にすべきで

10万人以上の被害者でも全くおかしくないですよ

公害病なんてどこもパヨクの餌にしかなってない

↑そのパヨクとやらが居なければ
有耶無耶にされて誰も責任を取らず
被害者は泣き寝入りして終わりだろ
強きをくじき弱きを助けるのは人の道だろ

お前は強者に媚びたいんだろうけどな

撮影始めた頃は水俣市長が歓迎の発言してたのに

内容ヤバかったの?

↑そらまあ
行政は「奇病とチッソを結びつけるのはデマ」って方針で、文句たれるヤツらをチッソが雇ったヤクザがボコってたのを見てみぬフリしてた

って内容になっちゃうからなぁ

↑それ自体はデマなの??

↑んな訳がない

必死の隠蔽工作もむなしく海外の有名ジャーナリストを後遺症が残るレベルでボコった結果、海外で大々的に報道されて隠蔽できなくなった

ユージンスミスはピュリッツァー賞が欲しい野心カメラマンで
宗教がかった構図でミナマタを演出した

報道カメラマンとは言えない

この映画も表現の不自由展に出品したらいいんじゃないか

いたって単純な話

いまさら苦い記憶で逆風評被害を受けたくないのが多い

足尾銅山とかミナマタとかフクシマとか、いつも政府は隠蔽し、誤魔化そうとする。だから、いつまででも風評被害は終わらない。A級戦犯の孫が8年間もやりたい放題やっても、全てが隠蔽され、誤魔化される。そういう国だ。

チッソが雇ったチンピラヤクザに瀕死の重傷を負わされた人ですね。昔は炭鉱のスト破りとか、政府に近い会社が雇ったチンピラヤクザが特に隠れもせず暴力を前面に出していた時代でした。


函南を川勝、ネットゲリラ一派から守れ

【函南町プロモーションビデオ】それもまたニャンダフル
https://www.youtube.com/watch?v=8K_Ntibivkk


 ノーベル文学賞、石黒じゃなくて石牟禮道子にすりゃよかったのに。 お亡くなりになったのは、カズオ・イシグロの受賞発表の約4カ月後だった。

田中優子(元法政大学総長)談
「石牟礼さんはノーベル文学賞をとれた作家だったと思うのに、亡くなって残念だった」
https://haruaki.shunjusha.co.jp/posts/4016

水俣病を題材とした『苦海浄土』で知られる作家石牟礼道子さんが90歳で亡くなって、2年半が過ぎた。先日、石牟礼さんについての著書を上梓される江戸文化研究者、田中優子さんとお話をする機会があったが、彼女は、まず最初に、石牟礼さんはノーベル文学賞をとれた作家だったと思うのに、亡くなって残念だった、とおっしゃっていた。石牟礼さんのえがく世界のオリジナリティー、典雅な文体、結果としての世界性や思想性、は、ノーベル文学賞に値した、という人は、もちろん田中さんだけではない。ノーベル賞を受賞するには、生きていなければならないし、文学賞の場合、英語に翻訳されていないと、受賞はほぼ不可能である。石牟礼さんの作品は、代表作『苦海浄土』の翻訳は、あることにはあり、最後の小説となった『天湖』にはブルース・アレン氏による素晴らしい翻訳がでているものの、海外でさかんに読まれるほどの翻訳は出ていない。ここ数年、日本の小説家による日本の小説は、とても盛んに英語等の西洋言語に翻訳されるようになったが、石牟礼さんはその波がくる前に亡くなってしまっている。さらに、彼女は長く、『苦海浄土』により、水俣病の社会活動家という側面で理解されることが多く、優れた文学者であることが認識されるようになったのは、2004年から2014年にかけて藤原書店から編まれた全集が完結し、2011年に池澤夏樹氏による個人編集の世界文学全集に、日本の小説家としては唯一とりあげられてから、ではあるまいか。石牟礼道子の文学世界は、これからこそ、理解されて行くものだと思う。亡くなってから、あらためて石牟礼道子の天才性ということについてしみじみと考えている。

 女子大学で教員をやっているので学生に卒業論文を指導している。卒業論文は2万字から3万字くらい、書かなければならない。普通にものを書くことがとりわけ好きであったり、得意であったり、という人でなければ、2万字などという長い文章を普通は書くことはないものだ。卒業論文を書く、という時点で、はじめてそのように長い文章を書く人が多い。ほとんどの人はそんな長い文書をいたことはないわけだから、どうやって書いたらよいのか、とまどう。「コップのようなものです」と私は言う。コップに水を入れると、水がいっぱいになったらコップから水があふれる。水がいっぱいになっていないと、あふれはしない。これと同じことです、と、言うのだ。たくさん自分の書きたいことに関する文章を読み、たくさんの文章が、まるでコップの水がいっぱいになったかのようにたまってくれば、なにか、言葉があふれてくる。書くことがありません、というのは、まだ、あふれるだけの言葉と文章が自分の中にたまっていないのだ。だから、まずはもっと読みなさい、という。これはまあ、卒業論文、という作業では、「先行文献を読む」ということと同義である。先行文献、という、自らが書きたいと思うことに近そうな文章をたくさん読んでいって、はじめて、自分の書きたいことが書けるようになる。

 また、「論文、レポート」というのは誰にでも書ける文章です、と学生さんに説明している。小説や詩やエッセイなどは、ある程度の文才というものがないと書けない。書くことに対するある程度の才能がないと、そう言った文学的な文章は書けない。しかし、論文やレポートというのは、一に体裁、二に体裁、と、まあ、とにかく体裁が大切なのであって、中身よりもまず体裁なのである。見出しをつけて、引用文献をつけて、論理的に話がすすんでいくように、レポート、論文のお作法というものに気をつけながら、丁寧に書き進んでいけば、基本的に誰でも書ける文章になっている。レポート、論文の体裁とはどういうものか、わかりません、という人は、まず、レポート、論文を書く前に、レポートや論文の書き方、という新書などがたくさん出ているから、そういうものを購入して、お作法を学びなさい、と言ってある。とにかく、卒業論文は、体裁を整え、自らの「コップ」をいっぱいにできるほどに関連の文章をたくさん読めば、何か書くべき言葉が出てくる。そんなふうに説明しながら、大学入職以来200人をこえる学部生の卒業論文を指導して来て、全員、書けたので、どんな人でも、踏むべきプロセスを踏み、体裁を整えていけば、2万字くらいの論文は書けるのだ、と思っている。

 つまりこれは、小説とかエッセイとか書くような文章の才能がない人でも、たくさん読んで、体裁さえ決まっていれば書ける、ということなのである。逆に言えば、普通の人は、そんなふうにしないと書けない。コップがあふれるほどに読まないと書くことなどわいてこない。かくいうわたしもいまはものを書いてお金をもらっているのであるが、このように文章を書き始める前に、ずいぶんの量の本を読んでいる。幼い頃から活字中毒ではなかったかと、今にしたらおもうほどに、活字に耽溺し、本がないと生きていけないくらい本が好きで、まあ、そこそこたくさんの本を読んで来て、そして今も読んでいる。紙の本も買うけれども、電子書籍も買う。電車に乗っていて、電車の本の広告を見て、ふとその本が読みたくなって(そういう広告の出る本は、大体電子書籍になっているものも多いから)、その場で電子書籍を購入して、都心につくまでにスマートフォンで一冊読んでしまったりする。何も読むものがなかったりすると、無料で読める「青空文庫」にはいっているチェーホフとか、坂口安吾とかの短編を端から読んでいるのである。とにかく、たくさん読んでいる。

 そして、好きな書き手があると、その書き手の書いているものを全部読もうとする。渡辺京二とか村上春樹とか石牟礼道子とか岡本かの子とかは、おおよそ全部読んでいると思う。好きなので。村上春樹さんなどほんとうにこつこつと毎日6000字書き溜めるタイプの書き手のようで、本当に多作で、翻訳物も山ほどあって、ああ、一人の人はこれだけ仕事ができるんだ、と感心するほどお書きになるから、読んで、ついて行くほうが大変である。ペルーのノーベル賞作家マリオ・ヴァルガス・リョサも大好きだが、この人も本当に、多作で、なんでも書ける人で、ものすごい量を書いているから、翻訳されているものだけでも、こちらもついて行くのが大変である。で、この人は小説家だけであるだけでなく、フジモリ大統領が、ペルーの大統領になった時、相対する大統領候補であった政治家なのだから、ほんとうにすごいな、と思ってしまう。で、そんなふうに好きな作家さんのものを全部読んだりしていると、あるいは、全部は読んでいなくても、すごく好きな作品などがあると、その文体というか、スタイルが自分にうつってくるような気がする。結果としてちっとも似てはいないのだけれど、ある人のある作品に触発されて、この文章を書きました、という経験が、なんどもある。そんなふうにして、書いている。つまりは、学生に言っているのとほぼ同じだ。コップに水をいっぱいにするからこそ、あふれてくるものがある。

 文章だけではないが、すべての表現というものはおおよそ、模倣から始まるのだ。なにか、体裁というか形式というか、そういうものが提示されていて、それを学び、そのやり方を自分のものとして、そこに自らのオリジナリティーをのせていく。形を学ぶ、ということは、模倣である、といえよう。2020年夏に、若き頃、前衛短歌を率い、日本の短歌界を代表する存在であった岡井隆さんが92歳で亡くなった。彼が、短歌を始めたいという人に向けての文章に、短歌をつくりたい、どうやったら、うまくできますか、と聞く人のなかに、自分の好きな歌人はとくにいない、という人がいること、にびっくりする、ということを書いておられたことを覚えている。岡井さん曰く、自分の好きな歌人がいて、その人の歌はもう、数知れずよみ、数多の歌を暗唱するほどよみ、そのようにしていると、いや、そのようにしているからこそ、自分も歌を詠みたい、と思って歌を詠んでいくのではないのか、と思っていたが、そうじゃない人がいるようで、よくわからない、というような文章だった。つまりは、こちらもおなじことで、要するに、たくさんの短歌を読み、愛し、そのリズムが自分のものとなり、それらのことばでいっぱいになって、あふれるように、自らの歌がうまれてくる、ということなのだ。

 ふつう、そうなのである。論文であれ、小説であれ、短歌であれ、エッセイであれ、その形式、体裁というものを学び、その形式で作られた数知れない作品を読み、ある人に心酔して、その人の書いたものをどんどん読んでいき、その人のリズムを自分のものにして、そこからなにか、文体を獲得し、自分の文章が生まれてくる。ふつうは。いや、岡井隆のことを書いていて、岡井さんは天才的な人だと思うが、彼がふつうの短歌を始めたい人について書いておられた文章では、そのように書いてあった、ということだ。逆に岡井隆のような天才的な歌人でもそのように好きな歌人がいて、その歌をたくさん読んで歌を詠み始めたのだから、ふつうの短歌を始めたい人が好きな歌人もいない、ということはびっくりした、ということなのであろう。

 天才、というのは、そもそも、ふつう、ではない人のことを言う。石牟礼道子は「本を読んでいない」人として知られている。あまりにも有名な『苦海浄土』の原稿を最初に受け取った編集者であり、その後一貫して、石牟礼さんの仕事をサポートしてこられた歴史家の渡辺京二氏が、おりにふれ、石牟礼さんは本は読んでいない、ということに言及しておられる。渡辺さんが、これ、おもしろいですよ、と、本をすすめたりすれば、ちらっと読んだりはしても、数ページ読んでおそらく最後まで読んでいないと思う、とおっしゃっていた。日本文学の有名な作品も、西洋近代文学のマスターピースも、おそらく彼女は読んでおられない、と言及されている。石牟礼さん自身が本を持っておられなかったわけではないが、要するに、読んではいないだろう、というわけである。

 石牟礼さんの文章を読んだ人は、その文体の古典的で典雅で美しいことにひかれていくのだが、それではいったい、彼女はどこからそのような文体を獲得したのか。ゼロから何かが生まれることはないのであって、石牟礼道子の文章のもとになったものはどこからきたのか。渡辺さんは、「国語の教科書じゃないですか」とおっしゃるのである。

 確かに小学校、中学校、高校の国語の教科書には名文がたくさん載っているものだ。模擬試験や入試の国語の問題にも素晴らしい文章が載っていることは少なくない。適切な長さで、試験を出せるような文章を選んであるわけだから、自ずと、名文が多いわけである。文字中毒であった私は、1960年代、すでにそのころ無償となっていた公立学校の教科書が学年はじめに配られることがすごくうれしくて、配られるや否や、いつも国語の教科書を貪るように読んでいたものだ。様々な文章の様々な表現が広がり、引き込まれていくような世界がたくさんあった。模擬試験の国語の問題を解きながら、あまりに文章がすばらしくて、試験中に泣いてしまったこともある。模擬試験の最中というのは、泣いている場合ではなくて、問題を解かなければならないのだから、そんなところで、文章に感動して泣いているような人は、大して良い成績が取れることがない、というのは、わたしの人生を振り返ればよくわかるのである。

 それはともかく。つまり「教科書」には良い文章がいくつか載っているものなのだ。天才、石牟礼道子がその文才を発揮して文章を書き始めるには、それで十分であったのだ。つまり、学校の国語の教科書程度を読んでいれば、そこには、小説もあっただろうし、詩もあっただろうし、短歌もあっただろうし、歴史的著述もあっただろう、と思われる。石牟礼さんには、それで十分だったのだ。そういうことができる人を天才、という。

 『苦海浄土』についての“秘密”は、講談社文庫になっている『苦海浄土』の、本文と同じくらい有名な渡辺京二氏による解説で、明らかにされている。この本は水俣病患者の聞き取りをして作ったようなドキュメンタリー作品ではない、この本は、石牟礼道子の私的な小説である、というのである。つまり、小説『苦海浄土』にでてくる患者の語りの多くは、患者さん自身はちっともそのように語っていない、石牟礼道子が「あの人はこういうことを言いたかったに違いない」と言って「創作」したものである、というのである。書き手の驚くべき自信である。自らが、その人の言いたいことを言えているに違いない、この人はこういうことを言いたかったに違いない、と言って書き、そして、書きあがったものは、書かれた本人をして、おそらく「自分はこのように本当は言いたかったのだ」と思わされるようなものに出来上がって行くのである。つまり、石牟礼さんにとって、水俣病患者には、根掘り葉掘り聞き取りをすることなどできるようなことではなかった。しかし、ちょっとだけその人に会えば、一言でもその人と言葉を交わせば、その人、という人のありようがわかれば、その人がどういうことを言いたかったのか、わかる。そういうことができる人を天才、という。

 石牟礼道子は能『不知火』の台本を書いているつまりは、お能を書いているのだ。能の専門家にも高く評価され、能楽を演じる一流の役者さんたちによって、演じられることになる『不知火』であった。石牟礼さんは、能を書くにあたって、「能は一度しかみたことはありませんでしたけれども・・・」と言っていたというが、わたしは、一度だってみたことがあるかどうか、あやしいと思っている。天才、石牟礼道子は、能などみなくても、中世の能というものがどういうものか、どういう形で脚本がかかれているか、ということがわかれば、やすやすと書けたのであろう。あの古風で典雅な能の脚本さえかけるような文体はどこから来たのか、というと、こちらも渡辺京二さんによると「御詠歌などではないか」と書かれていた。石牟礼さんが幼い頃、天草に住んでいる親戚などから御詠歌をきかされていたようなのである。天才には、御詠歌や浄瑠璃をきけば、それで十分、そのリズムと文体で、能まで書けるのである。

 つまり天才性、というのは、普通の人ならコップ一杯情報を入れないとあふれないようなところを、ほんのひと匙の水、つまりは一、二行の文章でその文章の本質を知ることができる、ということなのである。何か形が与えられれば、そこにのせて、何かが表現できるのだ。

 水俣の一主婦であった石牟礼道子は、30代後半のある日、高群逸枝の書いた『女性の歴史』をみつける。その本の上に、まさに後光が指しているように見えて、その本を手に取り、夢中で読み、ああ、これこそ自分が知りたかったことだ、自分が求めていたことだ、女性にとって必要なことだ、と思って、高揚し、見知らぬ人であった高群逸枝に長い手紙を書く。その手紙を高群逸枝は読んでいたというが、ほどなく、亡くなる。生前の高群逸枝に石牟礼道子は会うことはなく、高群逸枝の死後、夫の橋本憲三から、あなたの手紙を読んだ、おいでになりませんか、という手紙をもらって、高群逸枝が橋本憲三の公私共に渡るサポートのもと『女性の歴史』を書き上げた、世田谷区の「森の家」を訪れる。石牟礼道子を高群逸枝の生まれ変わり、と呼ぶ、橋本健三の元で、石牟礼道子は『苦海浄土』の最初の原稿を書き上げるのである。つまり、高群逸枝の『女性の歴史』を読んだことは石牟礼道子を突き動かし、東京に向かわせ、『苦海浄土』を書くきっかけを提供する。

 そこまで彼女を動かし、感銘を与え、作者に心酔させ、強い絆を作り上げた『女性の歴史』。その本を読んで、長い手紙を書いた、というのだから、もちろん、ふつうの人はその本を通読した、と思うものであろう。わたしも長くそう思っていた。高群逸枝と石牟礼道子は直接には面識がないが、この『女性の歴史』を通じての魂の遭遇とでも言えるようなものがあったのだから、もちろん、石牟礼さんは『女性の歴史』を全部読んでいたのであろうと。

 ところが、のち、あるインタビューで石牟礼さんは、後光のさしていた『女性の歴史』、手にとって読んで、感動して、逸枝さんに手紙を書きました、でも、読んだのは10ページくらい、と言っているのである。10ページ・・・。『女性の歴史』はまことに分厚い本である。10ページだけ読んだ。10ページしか読んでいない。それでも、その10ページは、石牟礼道子にとんでもない感動を与え、熱い手紙を書かせ、家族のいる水俣を後にし、高群逸枝亡き後の橋本憲三住まう東京の「森の家」まで行かせるに十分であった。なんという人だろうか。魂の絆をつくりあげ、自らの代表作制作のきっかけでさえ、「10ページ」で十分であったのだ。

 先述の渡辺京二さんは、そんな石牟礼さんを編集者として、秘書として、同志として、家族ぐるみで支え続けた方なのだが、彼によると、石牟礼さんは本当に多彩な才能の持ち主だったのだという。書を書かせれば、篠田桃紅に絶賛され、大変な美声の持ち主で歌はとびきり上手、絵心もあり、晩年には自らの俳句に絵をつけて発表されていた。女優ができるほど演劇の力もあったのだという。おそらくこの人の天才性は、どの分野においても発揮されるほどのものだったのであろう。そういう人が、文学の分野に力をそそぎ、数多の作品を残していかれたことは、残るものにとっては大変な幸運だったと言わねばならない。石牟礼さんは、ご本人の注目度ほどには、その作品は読まれていない作家であるという。今後多くの石牟礼作品が、読みとかれることを、待っている。


 2017年は、まさかの石牟礼道子、とコメントしておいたんだけど、残念・・

今年の文学賞はたぶんシリアの亡命詩人のアドニスさんだなw そして来年は、まさかの石牟礼道子さんw 石牟礼さん89歳なんでハヨw

(あとは、村上春樹が落選していつものノーベル賞 2017年版)
「数年前、河出書房新社が「世界文学全集」を作家池澤夏樹の個人編集で刊行したが、その中で池澤は、日本文学の代表として小説ではなくてこの『苦界浄土』を選択している。これは池澤の叡智(えいち)だと思う。
 もし次のノーベル文学賞が日本から出るとしたら、それは村上春樹ではなく、石牟礼道子にこそ授与されるべきだと僕は考えている。」
http://www.shakespeare-company.net/%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E4%BF%AE%E8%BA%AB%E3%81%AE%E3%81%A4%E3%82%8C%E3%81%A5%E3%82%8C%E6%97%A5%E8%A8%98/%E7%AC%AC40%E5%9B%9E/

天から遣わされた人・石牟礼道子

                                     更新日:2015年10月27日

作家 丸山修身

 前回は、戦後、陸地を舞台に書かれた最も素晴らしい文章として吉野せい『洟をたらした神』を採り上げたので、今回は海の最高の文章と僕が感じる、石牟礼道子『苦界浄土』について書くことにする。

 『苦界浄土』は水俣病について書かれた不朽の名著としてつとに有名である。ジャンルは何に区分けしたらいいのだろう。ノンフィクションともいえるし、壮大な叙事詩と言えないこともない。とにかくすぐれた文章としか言いようがないものだ。

 数年前、河出書房新社が「世界文学全集」を作家池澤夏樹の個人編集で刊行したが、その中で池澤は、日本文学の代表として小説ではなくてこの『苦界浄土』を選択している。これは池澤の叡智(えいち)だと思う。

 もし次のノーベル文学賞が日本から出るとしたら、それは村上春樹ではなく、石牟礼道子にこそ授与されるべきだと僕は考えている。

 早速文章を引こう。ある老いた漁師が、あねさん(石牟礼道子)に、水俣の海での夫婦二人の漁を語る場面である。ちょっと読みにくいところは我慢していただきたい。

   沖のうつくしか潮で炊いた米の飯の、どげんうまかもんか、あねさんあんた食うたことあるかな。そりゃ、うもうござすばい、ほんのり色

  のついて。かすかな潮の風味のして。

   かかは飯たく、わしゃ魚ばこしらえる。……あねさん、魚は天のくれらすもんでござす。……これより上の栄華のどこにゆけばあろうか

  い。寒うもなか、まだ灼け焦げるように暑うもなか夏のはじめの朝の、海の上でござすで。水俣の方も島原の方もまだモヤにつつまれて、そ

  のモヤを七色に押しひろげて陽様(ひいさま)の昇らす。ああよんべはえらい働きをしたが、よかあ気色になってきた。

   かかさまよい、こうしてみれば空ちゅうもんは、つくづく広かもんじゃる。空は唐天竺までも広がっとるげな。この舟も流されるままゆけ

  ば、南洋までも、ルソンまでも、流されてゆくげなが、極楽世界じゃのい。

   いまは我が舟一艘の上だけが、極楽世界じゃのい。

                                         『海石』

 ここでは水俣方言がきわめて効果的に使われていることに、みなさんもお気づきだろう。リズムにのると、小舟で揺られているような心地よさである。もしこれが共通語で語られたとしたら、ずっと味気なく、平凡なものとなる。

 ちょっと脇にそれるが、池澤夏樹は、二年ほど前から「日本文学全集」も個人編集することになり、その際、収録作品の基準として丸谷才一にならって次の三点を考えたという。

 1 伝統を重視しつつ

 2 実験的な新しい手法を駆使し

 3 しかも都会的でしゃれている

                                         岩波書店『図書』2015年9月号より

 しかし、この基準と、池澤が「世界文学全集」に日本の名作の代表として選んだ、『苦界浄土』の上の文章を比較してみていただきたい。正反対ではないか。特に「3」とは完全に背馳(はいち)している。これは、本当に良い文章は、付け焼き刃の薄っぺらな文学論など吹き飛ばす力をもっている、ということの証明だろう。

 僕は時々、もし石牟礼道子が存在しなかったら、と考えることがある。水俣病の死者は千人を超え、足尾銅山と並んで日本最大の公害として歴史に記憶されることは間違いない。しかし内側から、いわば「人間の真実」として記憶されることはなかっただろう。

 この時期に石牟礼道子が水俣に生きていたことは、まさに天の配剤ともいえる不幸中の幸いであった。僕が「天から遣(つか)わされた人」と感じる所以(ゆえん)である。足尾銅山にしても、全てをすてて闘った田中正造がいたことが、どれほど後世の我々の救いとなっているか知れない。

 本当に生きていてくれて良かった。僕がそう感じるのには、更に訳があるのだ。この人は若い時に自殺を図って生きのびた人だからである。

  この秋にいよよ死ぬべしと思ふとき十九の命いとしくてならぬ

  わが命絶つには安き価なり二箱の薬が五円なりといふ

  死なざりし悔が黄色き嘔吐となり寒々と冬の山に醒めたり

  おどおどと物いはぬ人達が目を離さぬ自殺未遂のわたしを囲んで

                                         石牟礼道子歌集『海と空のあいだに』(葦書房)より

 良い文章の特徴は、読んだ後、世界が変わって見えてくることである。映画、演劇、音楽などもそうだ。そして一場面でも強烈に長く印象に残り、ときどきぽっと記憶に甦る。するとまた無性に読んだり見たり聴いたりしたくなる。

 次は豊かな海が有機水銀に汚染され、猫に水俣病が発症していく場面である。

   網子たちは男も女も家を出て呼びあいながら駈け出して、部落じゅうが舟を出す。……櫓を漕ぐ者、かぐらをまわす者、舵をとる者。灯と

  灯は呼びあい漁師たちの声はひとつになる。  

      えっしんよい、えっしんよい。

      えっしんよい、えっしんよい。

   調子は早くなり、暗い海の隅々をたぐり寄せるしぶきの中で、筋くれた皆の手が揃う。網の中の魚たちも応える。応える一匹一匹の尾や頭

  のはね具合まで、網の重みで漁師たちにはわかるのである。なにしろ海はいつも生きていた。それがめっきり、魚のたおるるぞう、と村中で

  よびあう声をきかなくなっていた。

   猫たちの妙な死に方がはじまっていた。部落中の猫が死にたえて、……あの踊りをやりだしたら必ず死ぬ。

                                         『もう一ぺん人間に』

 海の鼓動が感じられるような文章ではないか。つまり石牟礼道子にとって、海は外にあるのではなく、体の内部にある。詩人的感性に恵まれた文学者の特徴である。それが感じられる俳句を紹介してこの文を終える。

 三句目はジャン・コクトーの有名な訳詩「わたしの耳は貝の殻 海の響きを懐かしむ」(堀口大學訳)を踏まえている。

  さくらさくらわが不知火はひかり凧

  椿落ちて満潮の海息低し

  わが耳のねむれる貝に春の潮

  潮の満ちくる海底へゆくねむりかな

 石牟礼さんが受賞したら発狂しそうな方がおられるので、それが心配といえば心配だが。」
http://my.shadowcity.jp/2016/10/post-10003.html#comments

 いや、これでも皇后さんのファンですよ、あっしは。


私が尊敬するジャーナリストの一人ですな
私のみならず、世界中から尊敬されている方だ
政府が国民を守らない以上、市民運動やジャーナリズムがやるしかない・・・文字通り体を張って、それをやった方である

福島は水俣病と流れが同じ、

写真家が見た、公害とその後
https://dot.asahi.com/aera/2019031300019.html

大震災・原発事故から8年。小柴一良さんによる『FUKUSHIMA 小鳥はもう鳴かない』は、その後の福島の現実を「『豊かさ』の受難」「子供たち」「被曝の大地」で構成された、200点の写真で綴る。著者の小柴さんに、同著に込めた思いを聞いた。

*  *  *
<「公害の原点」と言われる水俣を長年にわたって撮影した。2011年3月11日「有史以来最大の公害」の福島原発事故が起きた。2015年が明けてすぐ、福島の川内村である葬式の撮影が可能だという話を聞いた。ロケハン用の小さなカメラを持って現地に向かった>(「はじめに」から)

 福島県いわき市、南相馬市、伊達市、郡山市、富岡町、浪江町、大熊町、三春町、飯舘村、川内村、飯坂温泉。カメラはその後の「FUKUSHIMA」を追う。避難指示区域の荒涼とした風景、静けさの中で進行する棄民化、「自主避難」という名の分断の現実、あらがい続ける人たち……。写真展で完成された作品を鑑賞するのとは明らかに違う、ドキュメンタリー映画を観る感覚に近い、日常を静かに提示する記録者のまなざしがここにある。

「福島は水俣病と流れが同じなんです。ニュースを見ていると、原因企業の東電は当時の水俣のチッソで、行政も同じことをやっていたんだと思いましたね。メディアも最初ダーッとやってきて、ある程度収束したら報道しなくなる。普通の人は解決したと理解するでしょ。それで裁判とか闘いをやめない人たちにはバッシングですよ。『しつこい』『金目当てか』とかね。全く同じ構図です」

 本書のなかで「水俣(熊本県水俣市)から出稼ぎで来た人」がいわき市の酒場で一人飲む背中姿の写真がある。除染作業と宿舎の部屋。劣悪な労働環境のなかで働く労働者らはフレームのなかに一瞬登場する。水俣と福島がつながる構図、そこに込められた思いがジワリと伝わる。一方、明るい印象を残すのが「子供たち」と題された章だ。

「基本的に子どもは好きです。良い写真を撮るには、その被写体を愛することですよ。子ども以外にも老若男女が登場しますが、ボクは好きな人しか撮っていません。表情も一瞬、これだと思ったらすぐさま撮る。撮り直しはダメ、つくった画面だと臨場感がでない。だから常にカメラを首からぶら下げ、いつでも撮れるようにします。子どもは……これからも撮りたいですね」

大震災・原発事故から8年。小柴一良さんによる『FUKUSHIMA 小鳥はもう鳴かない』は、その後の福島の現実を「『豊かさ』の受難」「子供たち」「被曝の大地」で構成された、200点の写真で綴る

にほんじん?が同じ日本人を虐げ、粗末に扱い、クチをぬぐって知らんぷり、

水俣病なんてパヨが捏造した都市伝説だし、実際公文書館調べても、一つも公文書も残ってないから

こういうことを平然と書き込む電波がここにもいるんですなあ。
常駐してデタラメを書き散らしている理由は、ここのアクセス数。

ところでこういう映画がつくられ始めたということは、日本の裏の顔がそろそろ世界の注目を集め始めたということですな。

民主主義を名乗っているが、本当にこの国は民主主義国家なのかという懐疑がすでに大震災後の福島関係のみならず、今回のオリンピック関係でもちらほら見えている。

安っぽい美談や感動で目くらましし、財産や地位や名誉ばかりでなく命まで奪われた人々の抗議は暴力を用いて叩き潰す。

独裁国家以下の最低最劣の国家主義の残党が未だにのさばっているんですなあ。まあ水俣市が協賛拒否となればそれもまた宣伝材料。
ただ日本人が過去の過ちを真剣に反省していないという宣伝にもなっちまうのはなんとも嫌ですな。

そして、水俣も福島もそうなんだが、何一つ穢れのない古来からの地名が、そこに住む人々が、よそから来た穢れた奴(チッソ・東京電力)に大地を海を自然を穢された上に、その土地の名前まで穢される。

こういう人為的な大災害は、ちゃんと引き起こした企業の名前で呼ぶべきなんですな。

水俣病ではなくチッソ病。福島原発事故ではなく、東京電力原発汚染事故、というべきですな。

そうして真の犯罪者の名前を歴史に残すとともに、罪のない穢れのない人々への謂れのない差別や迫害から守らなければならないんですな。

熱海の土石流もそのうち熱海の住民への侮蔑や呪詛となりかねない。
今の間に、産廃処理場を作った人間か企業の名前を災害の名前にきりかえなきゃいけませんな。

ああ、自民党か。


知り合いに水俣高校卒業生(1957年生まれ)がいるのですが,彼女は「水俣病?あれは漁村の人ばっかりですよ。」って言ってました。
名前から,水俣の人全員が水俣病みたいなイメージがあるけど,健康な人(地元の魚介類を大量に食べてない)もいるわけで。
ぱっと見,海はキレイだったから,なんとも思わずに漁村の人は魚介類を食べてたようです。

 50過ぎてから31歳年下の美人JDをコマして8年で脂肪ってトコまでやるんだろうか


ネット上で急に 吉本芸人と維新の仲良しコンビが スガ  西村等
現政権の悪口を一斉に言い出した。指令が出たんやろな。
スガも安倍の秘密を暴露してほしい。


惡い事して金儲けするのは、ほゞ自民黨

の記事が削除されたやうですが、ヤバい書き込みがあつたのでせうか。あるいは自民黨本部から苦情でも來たのでせうかね。嘘に對して苦情があつたのならば分かりますが、眞實だから本氣であつたなどといふ事であつたら恐ろしいですね。


あいかわらず、どうでもいいことで腐すようなようなこと言ってるな。

おれは生物学関係の書き込みについては、自分ではよく分からないなりに大したもんだと思って読ませてもらっているが、こういうトンチンカンな書き込みを見ると、とても残念だ。

ところで、けっこう昔から水俣については気になっていて、自分でもいろいろと触れていた。
http://eeldog.blog12.fc2.com/?q=%E6%B0%B4%E4%BF%A3&charset=utf-8

  1. 太平洋の黒潮と親潮がぶつかるあたりさきほど昼のニューを見ていたら、全国的に天気が不安定で東北福島県浜通りの浪江町津島も1時間32ミリあたり豪雨となっていると言っていた。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130726/k10013308941000.html(一部引用)宮城県の丸森町筆甫では正午前まで
    eeldog.blog12.fc2.com//blog-entry-759.html
  2. 重松逸造 死去以下、中国新聞より引用 http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201202150194.html重松逸造氏が死去 放影研の元理事長 日本の疫学の第一人者とされ、原爆被爆者の健康を調査する「放射線影響研究所」(放影研、広島市・長崎市)の理事長などを務めた重松逸造(しげま
    eeldog.blog12.fc2.com//blog-entry-631.html
  3. 週刊新潮2011年10月13日号「御用学者と呼ばれて 第2弾」について週刊新潮は、自ら「第2弾」と銘打つくらいで、力を入れた記事なのだろう。週刊新潮8月11日号では養老孟司×中川恵一対談をやっていて、似たような内容であったから実際には第3弾だろうが、養老氏は自ら東大飛びだしたような人でもあり、御用学者とはいいにくかったので、カウントしていないのだろうか、どうでもいいこ
    eeldog.blog12.fc2.com//blog-entry-599.html
  4. F&F掲示板 3月23日記事No.23009RE:平成22年6月17日の事故eeldog03/23(水)07:44No.22875でも書いたが、やはりというか当然というか、食品に影響があらわれてきた。風評被害というなかれ。行政・マスコミが連呼するように「当面の間(具体的にどの程度の時間かは明示しないw)」、誰でも疑わしい食品を
    eeldog.blog12.fc2.com//blog-entry-530.html
  5. ユージン・スミス「楽園への歩み」(テレビ東京「美の巨人たち」)先週、テレビ東京「美の巨人たち」という番組で、ユージン・スミスの「楽園への歩み」についてとりあげていた。悪くない番組であり、水俣についても触れていたが、大事なことが抜けていたな。それは、1972年にユージン・スミスが水俣病患者を取材中、暴漢に襲われて重症を負った(それが彼の死につながったともいう)こ
    eeldog.blog12.fc2.com//blog-entry-326.html
  6. 藤原新也「黄泉の犬」藤原新也公式サイト 2006/11/09(Thu)の記事より※本日2014.5.22時点では過去の記事は読めないようです。この本では、麻原彰晃が水俣病である可能性について書かれているが、不思議と注目されないらしい。なので、及ばずながら、ここに書いてみた。※内容はこちらに詳しい。http://ja.w
    eeldog.blog12.fc2.com//blog-entry-144.html

そのなかで、野次馬さんが取り上げている「楽園への歩み」(我が子の姿だったかな)から、チッソについて書いた短い文章がある。
http://eeldog.blog12.fc2.com/blog-entry-326.html

ユージン・スミス「楽園への歩み」(テレビ東京「美の巨人たち」)

先週、テレビ東京「美の巨人たち」という番組で、ユージン・スミスの「楽園への歩み」についてとりあげていた。悪くない番組であり、水俣についても触れていたが、大事なことが抜けていたな。
それは、1972年にユージン・スミスが水俣病患者を取材中、暴漢に襲われて重症を負った(それが彼の死につながったともいう)ことである。別にこの暴漢はチッソに雇われていたなどという気はないが、彼の写真を快く思わない者の筆頭といえば、おのずとそう考えても不思議ではない。
テレビ東京は、日経新聞の手のものだから(「持分法適用関連会社」とのことwikipedieaより)、チッソについては語れなかったのだろうな。チッソは液晶関係では国策企業といってもいいくらいの大事な会社らしい。昔からチッソ自体が、そういう扱いであったのだが。

しかし、それならば、そもそもユージン・スミスを取り上げるべきではない。
もっと無理せず、日経夕刊の最終面に載るような、あたりさわりのない美術の話題でも取り上げたらよかろう(俺もあの手の記事は好きだし)。
「企業人が趣味的に好む美術の話題」程度にしたらいかがか。

※関連情報
Taurosのインターネット案内-18
真偽はご自分でご判断ください。
雅子さんの祖父はチッソの社長であったが、水俣病とは直接関係ないというふうに聞いていたのだが…。

それはまあどうでもいいのだが、ここでリンクを貼った江頭氏についての文章は真偽は不明ながら、一読しても良いかと思う。
インターネットアーカイブから拾ってきた。
https://web.archive.org/web/20170222152427/http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/4444/surf18.html

水俣病-江頭豊のしたこと
水俣病に関しては、このシリーズの「net案内−2」で書いたが、水俣病に関する話をある患者さんとしていたところ、『1株運動』で糾弾されている江頭豊を「あのひとは水俣病の発生には関係がないのでは・・・結局、事態収拾の当時者だっただけで批判されるのは気の毒な気がする」と言われた。私には即座にそれに答えるだけの知識がなかったのだが、江頭豊の孫達の幸せそうな写真「小和田姉妹」と、ユージン・スミスが撮影した上村智子『入浴する智子と母』の悲惨さの対比が印象的だったので、江頭豊の果たした役割を検証しようと考えた。 (04・08・31 改訂)

今はタブー視?されているようなところがある皇太子妃の母方の祖父が、水俣病とどう関わったのか?と言う疑問に答えるため、水俣病はいつ頃発生し、患者や漁民達はどう行動し、行政はどう関わったのか?企業はどう対応したのか?などを知るため年表を作成した。

水俣病-年表 詳しくはこの年表をご覧下さい。

チッソhttp://www.chisso.co.jp/top.html
水俣病を発生させたチッソ(株)は、現在、従業員1940人の規模だが「1500億円の累積赤字を抱え、売り上げの多くを患者補償にあてなければならず、自力で賄えない分は国民の税金が投入されている(熊本日日新聞 03・03・20)」状態である。国の返済肩代わりや免除分を合わせると国費の投入、つまり税金の使用は約1500億円に上るとみられる。(チッソの救済は税金)など、を見ると約1500億の税金が注ぎ込まれているようだ。


税金で延命されている企業:患者への補償の必要から、チッソが経営危機に陥るであろう事に対し(国が対処せず)熊本県から33億5千万円の県債(第1回)を受けたのは68・12・21であるが、チッソは1973年から患者への補償金の支払い能力がなくなった。そのため、78年からは熊本県が県債を発行し、患者への補償金支払い資金として国の資金をチッソに貸し付け、患者救済に回してきた。しかし、チッソの公的債務が雪だるま式に増え、借金返済の目途がまったくたたなくなり、「国・熊本県等の金融支援措置関係について:水俣病問題解決支援財団から解決一時金支払いの原資として約317億円をご融資頂いておりますが、そのうち85%相当額(約270億円)について00年3月末で免除して頂くことを予定しています。報道資料 00・01・25」となった。患者を苦しめた裁判の費用や、患者を暴力集団に襲撃させた経営陣の給与にも(結果的には)国民の税金が使われた事になる訳だ。

江頭豊:皇太子の婚姻に際し問題となったと言われる、チッソの社長~会長をしていた「江頭豊」に関する情報はnetには少なく、googleで「水俣病*江頭豊」で検索すると13件、熊本日日新聞のサイトの年表が1番に来たが、2番目はこのシリーズの「net案内−2」(*HeartLand/6000のもの、現在では移転後のページが2番目に来る)だった。国会でも共産党の議員が質問しているが「江頭豊は水俣病に関係がない」と言う事になっている。はたしてそうなのか? (*質疑は一部改変した、全文は質疑全文を参照の事)

国会での質疑:126回国会、衆議院・大蔵委員会(93・04・23)
正森成二・衆議院議員(日本共産党):宮内庁に伺いますが、報道されているところでは、小和田雅子さんの祖父、江頭さんは一時期、現在のチッソの社長だったということから、宮内庁は水俣病の原因となった企業であることから、皇太子妃にはふさわしくないという判断だった、水俣病発生後の就任であったとしても、御夫妻で熊本に行かれとき歓迎して貰えるかなどの意見が説得力を持ったと報道されております。別の報道では、雅子さんの件はおあきらめくださいと皇太子様に当時の宮内庁首脳が伝えたこともあった、ということが書かれております。

宮内庁長官・官房審議官・古居儔治:昭和61年以降、小和田雅子さんが皇太子妃候補の一人として皇太子殿下と親しくお会いになられた時期がありましたが、昭和63年に雅子さんが外交官補として海外研修のために英国に赴任され・・・江頭豊氏がチッソの社長等の地位にあったということについても、やはり慎重を期すべきではないかというようなことから、御交際は中断した時期も・・・しかしその後、江頭豊氏につきましては、チッソの社長等に就任されました時期等の関係から致しますと、水俣病の発生に直接関係がありません・・・また皇太子殿下の強いお気持ちを体して、小和田雅子さんを皇太子妃候補としたところでございます

熊本日日新聞 03・03・20には「自ら早い段階で工場廃水を止めていれば、これほどの事態にはならなかったはずだ」と書かれているが、有機水銀を含む工場排水が止められたのはいつ頃なのか、誰が決断したのか、などの疑問が湧いてきたので、年表を作ってみたところ「江頭豊」の役割が大きい事が解った。

水俣病の発生と経過- 江頭豊の社長就任前

1932 水俣工場、アセトアルデヒド・合成酢酸設備稼働開始、有機水銀を含む排水を
     水俣湾百間港へ無処理で放流し始めた。(1932・05・07)
1941 水俣工場で塩化ビニール生産、工場からメチル水銀が流出する。
1942 水俣病はこの頃に最初の発生があった。
1950 この頃から「ネコ踊り病」が多数見られるようになる。

1956・04・21 最初の患者(5歳・女児)が新日本窒素肥料(株)附属病院を受診、23日には
           入院となる。この女児の妹も入院、他にも2名入院したため
1956・05・01 附属病院、細川一・院長が「原因不明の脳疾患児の多発」を水俣保健所に
             届け出た。(*公的な水俣病の発生)
1956・05・28 水俣市に「水俣市奇病対策委員会」が設置された。感染症も考慮し「患者の
          隔離と消毒」を行う。
         
1957・03    水俣保健所の伊藤所長、水俣湾産の魚介類をネコに与えて飼育する
          実験を実施、7匹中5匹が発症した。(症状は自然発症のネコと同じ)
1957      西田栄一・工場長就任、西田天皇と言われる。

1957・07・23 熊本県、食品衛生法による水俣湾産魚介類の販売禁止の方針
1957
・09・11 厚生省、熊本県からの照会に対し「適用できない」と回答する。

1958・06    国会で厚生省環境衛生部長がチッソの排水が原因と答弁、通産省にチッソ
         に対する指導を要請するが、拒否されてしまう。
1958・08   漁獲禁止にはならず「販売禁止」になり、漁業補償はされない。
         (熊本県は「補償される権利がある」ことを漁民に教えなかった)
         食品衛生法:有害またはその疑いのある食品の販売停止
         漁業法:公益上必要な場合の漁業権停止とその補償

1958・09   チッソは排水管理委員会を設置、排水口を工場南側の水俣湾から、北側
         へと変更、これにより不知火海沿岸にも被害が広がった。
1958・09   熊本大学竹内教授、水俣病の病理所見はハンター&ラッセルにより報告
         された有機水銀中毒例とのみ完全に一致すると研究班報告会で報告した。
         チッソ(西田工場長)が反論、対立を危惧したチッソ本社は、熊本大学と協
          同して究明するよう要請、しかし工場長はこれを拒否した。

1959・02・09 厚生省水俣病食中毒部会(=熊本大学研究班)湾内の水銀分布を調査
         する必要性を確認し調査を開始する。
          調査の結果は彼らの想像を遙かに超えていた。
          a)水俣湾内の泥土からは多量の水銀が検出され(排水口近辺では泥土
            1tあたり2Kgの水銀を検出)「まさに水俣湾は水銀鉱山化」していた。
          b)不知火海沿岸住民の毛髪中からも大量の水銀を検出した、とりわけ
            水俣病患者およびその家族の毛髪には著しく大量の水銀を検出した。
          c)海水中の水銀量は希薄であるのに、湾内の魚貝類から多量の水銀が
            検出された。←生物体内で水銀が濃縮されていた。
1959・04    熊本日日新聞・社内報「患者多発地区の湯道、月浦、茂道と患者宅を取材
          に飛び回った。袋湾や漁協には漁の出来ぬ船が無残な姿で放置され、うつ
          ろな目で船を見つめる漁民達の姿がみられた。水俣学-高峰武
          
1959・07・14 朝日新聞が「原因は有機水銀」とスクープした。
1959・07・22 熊本大学水俣病医学研究班が「水俣病は現地の魚貝類を摂取すること
          によって惹起される神経疾患であり、魚貝類を汚染している毒物として
          水銀が極めて注目される」と発表した。・・・非公開の研究報告会だったが、
          発表前に新聞に出てしまい、世論は騒然となる。

           熊本大学の有機水銀説の発表に、チッソ内部にも有機水銀説が正しいと
           確信していた技術者がいた。塩出忠次はアセトアルデヒドができる課程
            で有機水銀化合物ができることは解っていた。酢酸課長の中村氏に
          報告した。しかし、チッソは塩出の忠告は採用しなかった。(NHK-96)
          
1959・10・07 工場排水により「ネコ400号」が水俣病を発症した。

1959・10・17 熊本県漁連、新日窒に交渉を申し入れたが拒否され、工場に投石したため
                     警官隊が出動する騒ぎになった。
1959・12・30 患者家庭互助会、チッソと「見舞金契約」を締結した。
          チッソ社長は患者に謝罪する、しかしこの謝罪は「あくまで道義的な
          もので、法律的な責任を負うものではない」と言った。
1959・11・02 熊本県漁連主催・不知火海沿岸漁民総決起大会。漁民が工場に乱入し、
           警官隊と衝突し、多数の負傷者を出す。
1960      水俣工場のアセトアルデヒド生産量4万5245トンと最大になる。
1962・11・29 胎児性水俣病16名が認定された。
1963・02・16 水俣病の原因はチッソの工場排水だと熊本大学が証明した。
1964・05    水俣漁協、水俣湾内の漁獲自主規制を全面解除する。


水俣病の発生と経過-2 江頭豊の社長就任後

1964・12    江頭豊、新日本窒素社長に就任(筆頭株主の日本興業銀行から就任)
1965・01・01 社名を「新日本窒素」から「チッソ」に変更した。
1965・01・10 昭和電工、アセトアルデヒドの生産を停止する。
          製造工程図は消却し、プラントは撤去してしまう。
1965・06・12 新潟大学・椿&植木教授、新潟水俣病の発生を報告する。
1967・06・12 新潟の水俣病患者が昭和電工を新潟地方裁判所に告訴した。
          4大公害裁判、最初の提訴-新潟水俣病第1次訴訟-
          3世帯1 3人、昭和電工を相手取り4450万円の慰謝料を請求し提訴
1967・07・21 「公害対策基本法」が成立、8・03 公布施行となる。
1968・05・18  水俣工場がアセトアルデヒド製造設備の運転を停止した。
1968・09・26  政府、公式に水俣病を認め、厚生省も公害病と認定した。
1968・09・27  公害病の認定を受けチッソ江頭社長は患者家族に詫びて回る。
1969・02     チッソが具体的な補償案を出さず、厚生省が調停にのりだす。
1969・06・14  自主交渉派がチッソを提訴した。 (水俣病裁判)
1970・11・28  株主総会に患者が乗り込む。(NHK報道)
1971・07・01  環境庁発足
1971・07     江頭豊、会長に就任
1971・12・06  患者家族がチッソと補償交渉を行い、東京本社前で座り込みを開始
          自主交渉闘争を始めた。
1972・01・07 千葉県のチッソ五井工場に抗議に訪れた「自主交渉派」の被害者や
            ユージン・スミスら報道陣をチッソは社員(or暴力集団)に襲わせた。
1972・12     ユージン・スミス『入浴する智子と母』を撮影する。(上村智子15歳)
1973・01・20  熊本水俣病患者家族141人、チッソを相手取り総額16億8千万円余の
          慰謝料を請求し熊本地裁に提訴-熊本水俣病第2次訴訟-
1973・03・20  熊本水俣病第1次訴訟判決 (原告勝訴・確定)
1977・02・07 上村智子死亡 (21歳)
1978・10     ユージン・スミス死亡 (1918アメリカ生まれ、60歳)

江頭豊の責任
1.水俣病の原因が工場にあると知りながら稼働し続けた。
水俣病の原因がアセトアルデヒドの製造工程から出る有機水銀である事は、チッソ社内では周知の事実であったし、熊本大学により、それが証明されても、設備を稼働し続けた。水俣病だけだと良く解らないが、新潟水俣病の年表を加えてみると、非常に良く理解できるのだが、江頭豊が社長に就任した翌月、1965・01・10、新潟水俣病の発生企業、昭和電工がアセトアルデヒドの生産を停止、製造工程図は消却、プラントは撤去してしまった。これは昭和電工が「水俣病の発生原因はアセトアルデヒドのプラントから出る有機水銀である」と認識していた事を示している。しかし、チッソ水俣工場がアセトアルデヒド製造設備の運転を停止したのは1968・05・18であり、新潟の水俣病患者が昭和電工を新潟地方裁判所に告訴し、「公害対策基本法」が成立した翌年であり、昭和電工がプラントを撤去、製造工程図を消却してから3年半後だった。

2.患者や家族に謝罪したが補償に応じようとはしなかった。
水俣病が公害病の認定を受け、江頭社長は1968・09・27から患者家族に詫びて回るが、具体的な補償案を出さないため、厚生省が調停にのりだした(1969・02)のである。しかし、厚生省は患者側に「この補償処理委員会の結論には一切異議なく従う」との確約書提出を求め、患者側は一任派と自主交渉派に分裂した。困窮のどん底に置かれている患者と家族には、卑劣極まりない態度と言われてもやむを得ないだろう。

石牟礼道子『苦界浄土』あとがき:チッソ側はゼロ回答をもってこれにうそぶいている。第三者機関あっせんに、再び互助会が依頼した寺本熊本県知事に、江頭社長は「チッソとしては34年暮れの見舞金契約は有効、補償交渉はチッソの好意で行われており・・・「公正な審判に服する」というならとにかく、恐るべき厚顔無恥、わたくしたちにこの上まだ《ことば》がありうるであろうか、とわたくしは思い沈む。 http://www.google.co.jp/ (キャッシュ) 投稿-32

3.謝罪した後も悪質なデマを流し患者や家族を冒涜した。
チッソ水俣支社・東平総務部長がスウェーデンのジャーナリストに答えている「端的にいうなら彼らは海に浮かんだ死んだ魚を食べたんですよ。しかし、そんなことを裁判にもちだすのは難しいです。一般の人に相手側について悪い印象を抱かせることになります。まるで動物ででもあるかのようにね。58年以後の病気の原因が、死んだ魚を食ったためなのか、水銀のためか解らんのですよ。58年以後に発病した人に限って言えば、それで補償金を貰えるなんて、有り難く思って貰いたいものです」(原田正純 『水俣病』p218、1971・07の話、詳しくは水俣病事件)、自らの責任をごまかし、患者や家族に対するこの侮辱、何たる傲慢であろうか。

4.患者や報道カメラマンを暴力集団に襲撃させた。 (会長時代)
千葉県の五井工場に抗議に訪れた「自主交渉派」の水俣病の被害者やユージン・スミスら取材陣をチッソは暴力集団に襲わせた(1972・01・07)、ユージン・スミスは片目を失明するほどの重傷を負わされたのに告訴せず、時間とエネルギーを写真に向け、6年後に負傷からの後遺症が元になり、死亡した・・・スミスの志とそれを暴力で封じようとした人達の心根、対照的である。

江頭豊と小和田家
水俣病は行政(通産省)の関与も強く、厚生省より通産省の方に力があったため、厚生省の意向もなかなか通じなかった。(*1958・06 国会で厚生省環境衛生部長が水俣病はチッソの排水が原因と答弁、通産省にチッソに対する指導を要請するが、拒否されてしまった)

江頭豊が社長に就任した1964年当時の日本興業銀行と言えば「飛ぶ取り落とす」勢いだったと思われる。それが大問題を抱えた企業の社長になると言うのは通常なら考えられず、余程の理由があったに違いないと思われる。

1.江頭豊はエリート軍人(江頭安太郎・海軍中将)の息子、妻・寿々子もエリート軍人(山屋
  他人・海軍大将&連合艦隊司令長官)の末娘だ。患者や家族との交渉には精神力が要
  求されるし、家に訪問されるかも判らないから、これ以上の適任はない。

2.娘婿は外務省のエリートだ、官僚との折衝もやりやすいだろう。
  小和田恒は後に外務次官になるが、入省後7~8年すれば出世するのは大体判る。

日本興業銀行としては、これ以上の適任はなく、通産省も(国家レベルか?)バックアップしただろう事は想像できる、これをうかがわせるのは江頭豊の社長就任、退任にあわせた小和田恒の動きであり、この↓ようになる。

1963・12・09 小和田恒夫妻に長女生まれる。母・優美子25、父・恒31
1964・12    江頭豊、新日本窒素社長に就任する。
1965 夏   小和田恒、モスクワに赴任する。
1968      小和田恒、ワシントンに赴任する。
1970・11・28 株主総会に患者が乗り込む。
1971・02
    小和田恒、海外勤務から帰国する。
1971・07    江頭豊、会長に退任する。(小和田恒の家族と同居する?)
1976この頃、小和田恒は福田赳夫内閣総理大臣の秘書官だった。

何と言う「偶然の一致?」だろうか、江頭豊の社長就任のほぼ半年後、小和田恒はモスクワに赴任し、その後ワシントンに赴任、71年2月に帰国するや、5ヶ月後の7月(*この間に新築したのだろうか?)には、江頭豊は会長に退任、その後、娘の家族と同居し始めるのである。

江頭・小和田家=ユージン・スミス=上村智子をめぐる因縁?
2004・08になり「SilkRoad/4444」でgoogleをかけて見ると、「あるスレッド」のログに「ちなみに雅子妃のお輿入れをしたのはセンコー運輸(昔の日窒の運送部)」と言う投稿(No-295)があった。

センコー(株)の「沿革」には、1946(S21)年7月設立とされているが、設立の経緯は記載されていない、宮崎県を基盤にして生まれ発展したと書いてある。四季報を見るとセンコー(株)<9069>の大株主は、旭化成(9・5%)、積水化学(6・0)、積水ハウスであり、旭化成も積水化学も日本窒素肥料から生まれた企業(*積水化学<4204>の大株主に旭化成(5・7%)が入っているので旭化成が兄貴分になる?)である。四季報の株主構成から見れば、センコー(株)の発祥は「日本窒素肥料」関連の運輸を担当していた部門が独立した可能性が高いと考えられた。

センコー(株)の旧社名は「扇興運輸」だと「沿革」にあるため、googleで「扇興運輸*水俣」を検索すると、2個hitした。1個は「水俣病患者とともに-日吉フミ子の闘いの記録」(a)だ、もうひとつは国会の議事録「参議院-会議録-第041」(b)である。

a)から解ったのは、1)上村智子の父親・上村好夫は智子が生まれた(1956(S31)年←智子の水俣病患者認定はS38年)の翌年(S32)に「扇興運輸」に就職し、1994(H06)年(60歳=定年?)まで勤務していた、と言うことである。

b)からは、1962(S37)の参議院「社会労働委員会」において「新日本窒素株式会社における労働争議に関する件」が、議論されているが、ここで解ることは、2)警察庁警備局長・三輪良雄が、扇興運輸を「新日本窒素=現・チッソ」の「下請け業者」であるとしている。また、3)最大時には熊本県警の警察官(1800名)の約2/3(1180名)が動員され、鹿児島県と宮崎県にも応援(200名)を依頼するような新日本窒素(株)の大規模な労働争議があったが、港湾労働者が会社側に立ち、ピケラインを突破した、4)扇興運輸の食堂と事務所は100名の警察官が宿泊できるほど広かった、ことなどが理解できる。

警察庁警備局長・三輪良雄の答弁で興味があるのは、鹿児島県と、宮崎県に応援を依頼していることである。単に熊本県の警察官の人員不足を補うためのものか、会社側が子会社・扇興運輸の社員をストライキ対策に使っていることを受けたものなのか、考えさせられる。

患者達やユージン・スミスに暴力をふるった者達の正体は?
自主交渉派の患者達やユージン・スミスを襲撃した集団については、社員、暴力団、右翼などの説があるが、チッソ経営陣の意を汲んでいるのは明かである。しかし、立場が異なるとは言え、同じ水俣に住む(悲惨な)患者達に暴力を振るう社員や暴力集団がそんなに多数いるだろうか?と言う疑問を持つ。また、その「暴力集団」は千葉県の五井工場にも現れ、ユージン・スミスと患者が襲われている。少し考えると、1)暴力を振るったのが社員なら顔を知られているし、表面化すれば大問題になる、2)社外の右翼や暴力集団なら多年に渡り多人数を確保しておく費用が膨大になる、3)そのような社外の暴力集団を千葉県まで行かせるとなると費用などが大変だ・・・これらの問題をどのように解決したのかが私の疑問だった。しかし、チッソの工場の間を海上や陸路を使い自由に行き交い、水俣市に住む患者達に顔を知られていない、かつ、会社側が意のままに動かせる集団がいたことを知り、疑問が解けた(特に海上を行き来する集団は陸にあがる時間が少ないため、例え事件を起こしても警察の捜査も及びにくいと思う)ように感じたのだが、検証したわけではないため何とも言えないのは言うまでもない。

慚愧の日々を送った人達
1.後任社長は「全責任は私にある」と言い、読経の日々を送った
水俣病問題において・・・全責任は社長にあると言い切ったのは、島田社長がはじめてではないだろうか。島田賢一は、昭和46年社長になり、46年10月の川本輝夫たちへの水俣病認定に際し、水俣病の疑いのある環境庁救済認定患者と水俣病認定患者は、おのずからちがう存在であって、前者への補償の義務なしと突っぱねた当事者になった。しかし、とにもかくにもチッソが、川本輝夫たちの、いわゆる新認定患者の自主交渉の要求をのむに至る背景には、この証言にみられる責任の自覚が、なんらかのかたちで入っているだろう。島田賢一は社長を退いた後、読経の日々を送ったといわれる。(明日もまた今日の如く) 

島田賢一が社長に就任した時には、もう有機水銀は排出されていなかったし、補償に応じようとしなかったのは「水俣病の疑いのある環境庁救済認定患者」である、これに対し前任の江頭豊社長は「水俣病認定患者」に対する補償に応じようとはしなかったのである。

2.細川院長は肺癌末期の病床で工場の隠蔽を証言した
企業城下町・水俣の新日本窒素付属病院・院長と言えば、住民から見れば「雲の上の人」のような存在だったと言う。水俣病の発生と同時に1956・05細川院長を中心とする現地の奇病対策委員会は精力的に疫学調査を実施、30名の患者が存在する事を調査、8月末頃には伝染病ではなく食中毒が疑わしいと判明、食中毒の原因究明を熊本大学医学部に要請した。

チッソ付属病院の細川院長は、患者公式確認の翌57年から62年までの5年間に、838匹のネコなどによる動物実験等を工場技術部と共同で行っていた。研究は熊本大学研究班の成果を追試する形で進められた。59年熊本大学の有機水銀説が出た時「会社の黒白をはっきりさせる」目的で、触媒水銀を使用する2工程(アセトアルデヒドと塩化ビニール)の廃水をネコの食餌に直接かけて実験を始めた。07・21より前者を食べさせたネコ400号が、78日後の59・10・07、水俣病を発症した。(これは1匹だけの実験だった)細川院長はこの結果を工場幹部(*工場長)に報告し、工場研究班会議59・11・30で、工場廃液で水俣病が発症することを強調したが、水俣病の原因が工場排水であると知った西田工場長は「今後の実験禁止」を言い渡した。細川院長はこの命令に逆らえなかった。

70・07・04、細川院長は水俣病裁判でこのことを証言した。肺癌で闘病中の細川は臨床尋問に応じ、証言したのである。細川はまた58年の排水口の水俣川への変更時にも、新患者を発生させることになり、人道上も許せないと反対したが、会社側が聞き入れなかったことも明らかにした。細川は3ヶ月後の70・10・13、69歳で永眠する。

3.西田工場長は葬儀もさせず、墓も作らせず、戒名もない
患者発生の1956年の翌57年、西田栄一が工場長に就任するが、3500人を越える社員を擁する企業の城下町・水俣では工場長は大きな存在だった。西田工場長は別名『西田天皇』とも言われたと言う。

a)熊本大学の有機水銀説に反論、協力するようにと言う本社の要請も拒否した。
1958・09熊本大学竹内教授、水俣病の病理所見はハンター&ラッセルにより報告された有機水銀中毒例と完全に一致すると研究班報告会で報告した。チッソ(西田工場長)が反論、対立を危惧したチッソ本社は熊本大学と協同して究明するよう要請したが工場長はこれを拒否した。

b)細川院長にネコ400号実験の検証を禁止した。
細川院長は838匹の猫に有機水銀化合物を与える実験をしたが、1959・07・21よりアセトアルデヒド製造工程から出る廃液を与えたネコ400号が、78日後の10・07、水俣病を発症した。細川院長はこの結果を工場幹部に報告、工場長は「今後の実験禁止」を言い渡した。西田工場長に熊本大学の有機水銀原因説に反論を命じられた技術部次長・市川正は、この「猫400号」の実験データを見解書から外した。

c)工場の排水口を変更し、被害を拡大させた。排水の摂取も禁じた。
58年の排水口の水俣川への変更時にも、新患者を発生させることになり、人道上も許せないと細川院長は反対したが、会社側(*工場長)が聞き入れなかった。工場排水を摂取することを工場側が拒否していたため、熊本大学は無機水銀が有機水銀になる問題を解決できずにいた。

d)西田工場長は退社後には慚愧の日々を送る。
1970(S35)年、西田工場長は東京に異動となった。1973・03・20熊本水俣病第1次訴訟、原告の勝訴が確定した。当時のチッソ水俣工場の工場長・西田氏はチッソと縁を切り「全責任は自分にある私を許してほしい」と自分を責め続けてこの世を去った。生前の意志により、戒名も付けられず葬儀も行われなかった。 (96 NHK-放映)


慚愧しない人と、その娘婿
江頭豊は皇太子妃の母方の祖父であり、婚姻に際し「元・チッソ会長」と紹介されたが「現・相談役」である(*今も問題企業と関わりがある)とは報道されなかった。しかし、三井PRニュース 135号(消失)の「第40回財界人洋画展」の出品者リストには「江頭豊・チッソ相談役」として出ており、INDEX(消失)を見れば、98年10月現在(皇太子の婚姻は93・06・09)でも、チッソ(株)の相談役に就いていたと解る。

補足:江頭豊の会長退任時期や現在の肩書きを知ろうと思い、チッソ本社に電話、「江頭豊さんの事で伺いたい」と交換に告げると、緊張感が伝わり、広報につながれたので「社長に就任した時期は?」と話すと「担当者がいません」と断られた、江頭豊はチッソではタブーのようである。

社長退任後27年経っても相談役に就き続け(税金で生かされている企業から何らかの報酬を受けているのだろうか?)、画を「財界人洋画展」に出品するような悠々自適の生活を送っていることが判るが、この姿からは後任社長の島田賢一のような「慚愧」は全く感じられない。その慚愧しないひとの娘婿の人物像も、彼にぴったり?の興味あるものである。

娘婿・小和田恒の人物像
渡辺亮次郎のエッセイ : 持田健(もちだ・たけし)さんが(*03年)9月25日、都内の病院で逝去した。・・・信濃町の葬儀場に飾られた花輪の多くが外務官僚からのもの・・・生花の中には外務省外郭団体・国際問題研究所の理事長たる小和田恒氏のもあったから「そういえば小和田さんはジュネーヴェへいつ赴任するんだ」と通夜の席で話題になった。国際司法裁判所の判事とやらに選出されたからである。皇太子妃の実父だから昔なら批判ご法度なのだが、最近の世相はだからと言って口さがない。数年前、現職の小田判事を「任期途中で辞めさせてでも」と、就任工作(*小田にとっては辞任工作である)をやらせたのはひどかった(*注-1)とか「あんな顔していて、実にカネに汚い」とか「公私混同がひどい」(*注-2)とか「嫁入りに持たすタンスをえらく値切られた」という友人もいた。「そりゃお前、めでたいんだから、お前んちのほうで値切って差し上げたんだろうからいいことをしたな」とはなったが、ケチで鳴る小和田さんも他人の国際紛争ではけちはしないだろう、で落ち着きかけた。皇室の親戚がケチで何が悪い。 ところが「まだわからんぜ」と付け加える仲間が言った。「何しろ誰も鈴を付けに来ないことをいいことに国連大使に5年も居座って、まだ降りようとはしなかった。後任の佐藤行雄が3年10ヶ月できちっと辞めて、もう東京にいるよ。そんなだから、小和田さん、判事の任期(7年)に果たして何期しがみつくか、興味津々だね」と、これは後輩外交官だった。結構、口が悪い。 著者の略歴 エッセイ集リスト 

*注-1:これは93年(皇太子の婚礼の年)の話である、小田滋(前職は東北大学教授)は既に2期つとめており、小和田恒が外務次官の退任後に就任する予定だった(小田の就任には外務省が根回しした結果だから譲るのが当然という論理らしい)が、退任工作がひどかったので、小田が怒り、辞任しなかったと言われている。小田滋は03・02・05まで3期27年間(*彼も権力の虫?)も粘り続け、後任に小和田恒が就任した。 参考:田中良太のコラム 02・10・22、この記事 

仙台市名誉市民に小田滋氏と一力一夫氏 Yahooニュース 04・05・25 仙台市は04・05・24、元国際司法裁判所副所長の小田滋氏(79)と河北新報社主の一力一夫氏(78)の2人に仙台市名誉市民の称号を贈ることを内定したと発表した。小田氏は1959年に東北大法学部教授となり、国際法の研究活動や指導に従事、76年から03年までの3期27年、国際司法裁判所(ICJ)の裁判官を務めた。91年ICJ副所長に就任し、国際紛争の解決などに尽力した。75年に米国国際法学会名誉会員、94年に日本学士院会員、03年に日本国際法協会会長となり、現在は東北大名誉教授。03年には瑞宝大綬章を受章した。仙台市は「国内外における卓越した功績は、市民はもとより国民が等しく誇りとする」と評価した。(河北新報) ← 消失 (キャッシュ) 

外務省の犯罪(*注-2)業務上横領の時効は7年だが、偶然か?、小和田恒・外務次官が退任してから7年6ヶ月後の2001年3月に公金横領事件が表面化し、松尾克俊・元外務省要人外国訪問支援室長(55)が逮捕(01・03・10)された。松尾克俊がこの職にあったのは1993・10・10~99・08・16であり、その間の次官が責任を問われた。そして、2001・08・10、斎藤邦彦・国際協力事業団総裁、林貞行・駐英大使、柳井俊二・駐米大使、川島裕・事務次官の4名が更迭された。1993年8月に小和田恒の後を継いで事務次官に就任した斎藤から、林、柳井、そして99年7月に就任した川島までの歴代事務次官達であり、見事に小和田恒は、はずれ(はずされ?)ていた。

天木直人『さらば外務省』に見る小和田恒
1) 外務省のこれまでの問題、外務官僚個々人の問題や 彼らの犯罪行為を洗いざらい述べている。まあ彼らのひどさがわかるとは言え、どうにもレベルが低い話ばかりでいやになる。例えば小和田恒については、出張先で夜中「缶切りをもってこい」と要求があり、持っていくと「その缶切りを試したかい」と質問があり「試してない」と答えると、そのままドアを閉めてしまったという、ただそれだけである。いったい何?詰めの甘さを指摘されたということだし、一事が万事なのだろうが、それにしても次元の低い話だ。 http://www.google.co.jp/ (キャシュ)

2) 浅井基文は、日米安保条約を聖域視する対米従属外交に失望し、中国課長を最後に退職した。その後まもなく『日本外交』を出版し、安保条約に全面的に依存する日本外交の危うさを訴えた。 その浅井を外務省は組織をあげて潰しにかかった。直接、浅井から聞いた話だが、退職した当時の次官であった小和田恒は「今後もし外務省に弓を引くような真似をすれば、省をあげて潰しにかかる」と、面と向かって引導を渡したという。若い外務官僚たちもこれに迎合するように、「霞ヶ関に近づけば押し返してやる」と悪態をついたという。 http://www.asyura2.com/ のログ 


企業の傲慢は今も続き、チッソ社長は慰霊祭に2度出席しただけ
チッソ社長に出席を要望へ 5月に水俣病犠牲者慰霊式 熊本日日新聞 02・03・05
02年度水俣病犠牲者慰霊式の実行委が4日、水俣市職員共済会館であり、11回目の慰霊式を水俣病公式発見の5月1日、水俣市明神の水俣メモリアルで行うことなどを決めた。委員からは式にチッソ社長の出席を求める発言が相次ぎ、実行委としてチッソに要望することになった。
各患者団体、チッソ、水俣市の各組織代表ら15人が出席。01年もチッソ社長の慰霊式出席を求めたが実現しなかった経緯もあり、「年1回、加害企業の責任者として花一輪なりと手向けるという人間性が欲しい」という意見が強く出された。これに対し、チッソ側委員は「水俣本部長が社から全権を委任され、代表として出席している。ただ要望は本社に伝える」と答えた。チッソ社長は06年に1度、慰霊式に出席している。(その後、出席した→熊本日日新聞 02・05・01 )・・・これが国民の税金で延命されている企業の社長がとっている態度であり、水俣市民、患者や家族はただ「お願いするだけ」しか手段がないのである。

これでみると、雅子妃の祖父・江頭豊がチッソ会長だった時に、ユージン・スミスが襲われているのは事実のようである。


生ゴミが消える、また土壤が消えるといふ話があつたが、ミゝズの話である。


https://nazology.net/archives/70496進撃のミミズ!日本産「クレイジーワーム」がアメリカの土壌を”破壊している”と判明


伊豆山のソーラーはもはやこれまで
崩落現場の反対側ソーラーの最下部でも
小規模の崩落が起きているのだな~

これが引き金となり韓国企業の
メガソーラー計画が頓挫すると
全国にも波及することになるだろう

国のエネルギー政策にも係るのだな~

全力の隠ぺいが始まるのだな~

マイクロメディアのみが真実を
語るのだな~

ここも消えるかな~
藤田誤郎 | 2021年7月10日 19:08 | 返信
電波なヒトを見ていると、心がイタイイタイ。。。 ( 失礼 )

この方の存在を、ちょっと前に放送された『 なんでも鑑定団 』で初めて識ったオレ。

自身の不勉強はさておき、

失敗を未来に活かそう、という気持ちが有るなら、
過去の闇を包み隠さず公表するのが正解だと思うのですが、

公文書すら真っ黒に塗り潰したり、
更には改竄すら行ってしまう連中には、
期待するだけ無駄でしょうか?

調べてみないと解らないコトが沢山あるので、全ての真偽を確かめるのは難しいけど、

「 あっ、コイツは嘘吐きだ 」って見抜く眼だけは、失わないようにしたいものです。


ミナマタといわれても、ピンと来ないので、まあググればあーそんなことがあったのね程度の話だんだな。ただ演じすぎ破廉恥暴力俳優のジョニデは好きじゃないので、映画は見ないしどーでもよい。これについちゃ市当局や現地住民ら当事者たちの考えを尊重するのみだ。んなことより41人ゴロシの川勝だ、女をいかせたとかそういうコロシじゃなくて、本物のコロシ屋らしいじゃん、これヤバイっしょ、マジでwで、こいつメガソーラGO!サイン出してたらしいじゃん、ネットゲリラは大丈夫なんか?こんなん応援してw


ユージン・スミスって、確か若い頃の従軍取材で重傷を負ったせいで、ミルクとウィスキーで栄養補給していたんだよね。

あと、スミスもジョニー・デップも、ネイティブ・アメリカンの血を引いているんだよね。部族まで同じかどうかは知らんけど。


OPENVAERSによる7月7日現在の新コロ毒薬注入による死者9,048名、流産985名

https://www.openvaers.com/covid-data

1週間前は6,985名で、今週1週間で死者数は2千名以上増え、過去最多の増加数となりました。ヘルスインパクトニュースに本日発表されたOPENVAERSのデータの解説があるよ。


ミナマタといわれても、ピンと来ないので、まあググればあーそんなことがあったのね程度の話だんだな。ただ演じすぎ破廉恥暴力俳優のジョニデは好きじゃないので、映画は見ないしどーでもよい。これについちゃ市当局や現地住民ら当事者たちの考えを尊重するのみだ。んなことより41人ゴロシの川勝だ、女をいかせたとかそういうコロシじゃなくて、本物のコロシ屋らしいじゃん、これヤバイっしょ、マジでwで、こいつメガソーラGO!サイン出してたらしいじゃん、ネットゲリラは大丈夫なんか?こんなん応援してw


ここで気づいているのは書店主さんだけなんだと思うんだが、メガソーラ尾根の崩壊側斜面、アレはヤバいwここは写真で見る限り根の浅い針葉樹じゃなくて、比較的根がしっかりしている広葉樹の森が広がってるんだが、それでもこのキレツw次の降水か次の揺れで崩れるじゃまいか?崩れるなら所有主の会社施設がある方に壮大に崩れればえーのにと願わんでもないw


アレ、ダブっちゃった?オレとしたことがw

で、いつものVRSだ、
https://cio.go.jp/vrs

どこかのバカが、たいへんだー!7月に入ってショット数が激減してる!てw7/4のショット数は当初の49万から今や110万超えてますwどーして?wそりゃオマエ政府のせいじゃなくて、報告業務をおろそかにしてる自治体のせいやろw

明石の市長みたいに怒鳴りつければ部下が動くとか思ってるバカwなんやハシシタと同期らしいじゃん、やっぱバカどうし出自の怪しいどおし気が合うんやろなw関西にだけは住みたくないよなwww


>日立でも入っちゃいけない所にどんどん入って行って、止めるの大変だったってカバン持ちさせられた人が言ってたわ。

◆写真家ユージン・スミスが日立にいた2年間と、その道のりを探った20年

https://www.driveplaza.com/trip/michinohosomichi/ver183/


茨城県日立市

アメリカの著名な写真家ユージン・スミスが、1961年から翌年にかけて、日立市を撮影したことはあまり知られていない。そして日立市には、スミスが日立で制作した2年間を長年、調査・研究してきた博物館学芸員がいる。偉大な写真家の足跡と、それを20年間ひたすら追い続けてきた、一人の学芸員の物語

>アメリカの著名な写真家ユージン・スミスが、1961年から翌年にかけて、日立市を撮影したことはあまり知られていない。そして日立市には、スミスが日立で制作した2年間を長年、調査・研究してきた博物館学芸員がいる。偉大な写真家の足跡と、それを20年間ひたすら追い続けてきた、一人の学芸員の物語。

>1963年に国内で出版されたにもかかわらず、この写真集は部数が極めて少なく、日本国内ではほとんど出回っていない。そして現在、わたしたちがこの本を閲覧できる文化施設も限られた場所のみ。この写真集は、タイトルのとおり、1960年初頭の高度経済成長期の日本のようすを真摯な眼差しで捉えた写真集だ。そして「日本 イメージの一章」と題されてはいるけれど、実はこの写真集の主な撮影地は、茨城県日立市なのだ。そして版元は「sponsored by Hitachi Ltd.」つまり日立製作所。世界的写真家、ユージン・スミスの初めての写真集がなぜ、日本をテーマに、日立で作られたのか。

・・・・日立製作所が、写真家ユージン・スミスに撮影を依頼し1963年に製作した写真集『Japan … a chapter of image』。沖縄を撮影した約15年後、そして水俣を撮影する約10年前の初めての写真集。茨城県内での所蔵は確認されイマセンでしたが、日立製作所と茨城大学の「連携プロジェクト」の「地域デザイン」チームにより、茨城大学が所有する事に至ったのはつい最近のコト。写真集は日本で発行されましたが国内に(ほとんど)流通せず、出回っていません。全編英語なのは海外向けに製作された写真集だからデス。つまり、巨大発電機の海外向け輸出事業の宣伝デスなぁ~。クライアントの依頼は当時の技術力の喧伝だが、変人カメラマンのユージンは好奇心の向く被写体を撮りまくる。工場以外での撮影はトテモ評判が宜しくなかった(らしい)デス。

松本美枝子 @miekomatsumoto

>写真家ユージン・スミスが日立にいた2年間と、その道のりを探った20年 #未知の細道  @ドラぷらより

↑書きました。写真、写真史、博物館学、地域研究など、私がやっている様々なことに全て関わる内容なので、ぜひ読んでほしい。

MINAMATA~ユージン・スミスの遺志~【テレメンタリー2020】#水俣病 #熊本 #ジョニーデップ

>その死から40年余り。水俣病の惨禍を世界に伝えた写真家ユージン・スミスに今再び、脚光が当てられようとしている。終わらない戦いが続く水俣病。俳優ジョニー・デップは自ら、水俣とユージン・スミスの映画を製作することを提案。映画は間もなく公開予定(9月23日公開&邦題決定)。二人三脚で撮影の月日を過ごした元妻はその意志を受け継ぎ、活動を続けている。ユージン・スミスが水俣で過ごした3年間。患者たちとどう向き合い、何を感じたのか。交流のあった患者たちを訪ねると、彼の生き様や苦悩、葛藤が分かる数々の知られざるエピソードに遭遇した。  

※ユージン氏とアイリーン・美緒子・スミス氏の写真集「MINAMATA」をベースに、ジョニーが自ら製作を務めて映画化。日本から真田広之、國村隼、美波、加瀬亮、浅野忠信、岩瀬晶子が参加し、名優ビル・ナイも出演。音楽は坂本龍一が担当。


にしても西村ー、おまえさあ、えーかげんにしろや、センスなさすぎやろ、さっさと大臣やめーや、でスガもさあ、その貧乏ズラ見てるとホンマ気分わるーなるで、やめてやー、10月の歴史的大敗まで待てんわww


 なんで水俣からミミズに話が飛ぶのかよく判らないのだが、ガッコで、なんで根が張っても植木鉢から土が溢れないんだ、という問いはとてもよい質問であると思ったのである。
 さて、ウチの庭にも沢山ミミズがいるのである、ミミズが沢山いると植物にとっていい土壌である、というのは畑とかの話であって、コケ庭のあちこちに穴があるのはあまいいい感じはしないのである。
 ワシはアメリカの野山も東日本の野山もよく知らんのだが、大阪京都の野山の地面は概ね落葉に覆われていて、腐葉土が露出しているような所は少ないのであり、落葉のコーティングが破壊されているとしたら、それは日本よりミミズの活動が過剰である、のではないかと思うし、多くの場合それは、主たるミミズの捕食者ハモグラであるのだが、米国のモグラが日本のミミズを好まないのではないか、と思うのである。
 まっ、ワシはモグラのことなど全然知らんし、ワシがガッコ出た後で南西諸島方面でモグラの新種が大量に発見されて、種の数からいえば、日本産哺乳類のほとんどをモグラが占めるに至ったのであるが、モグラは北半球にしかいないのであるが何故だか、というのは知らないのである。きっと面白い話があるに違いないが、そーいうことばかり追求していると人生はあっという間に終ってしまうのである、(あーそんな生き方がしたいのであるw)
 なんで北米大陸に孤立していてモグラがいるの、とかモグラのいないアフリカとかはミミズ天国なのか、とか色々疑問は深まるのであるが、そんな問いは既に解かれているに違いないのである。

 ミミズやモグラは産業上重要な生物であるので、膨大な資金が投じられて大量の研究成果があるの違いないのである。

 余談だが、ミミズジャーキーがアマゾンで売られていた。(どんな味かは知らん)
https://amzn.to/36GAAAt

食べられる昆虫シリーズ ミミズジャーキー 1袋

 おっと話が逸れてしまった、詳細は知らんのだが、似たような話として、セマダラコガネがある。多分ここのジジイで知っているヒトは一人もいないと思うが、触覚が黒くかつ三叉でとっても目立つのがチャームポイントのせいぜい体長10mmくらいの小さな甲虫である。今時分がシーズンであるので、注意して見たらきっと身近にあたりまえにいるような虫であるな。

 この虫の幼虫は植物の根を食べるネキリムシで、まあ害虫といえば害虫なんだが、まあ日本ではたいしたことのない害虫であまり関心を持たれていないのであるが、米国では(平均的な米国人の庭は芝生を植えるし、ビジネスでゴルフをするのは非常に重要であり)芝生というのが非常に大事であるのだが、その芝生の根を喰い荒らすので米国では大問題になったのであり、大戦中に反日宣伝にこの問題が大きく取り上げられたりしたのだそーだ。

 ワシの予想は巨額の臨時給付金でスダレハゲ大勝利である、ジャップランドの民度の低さナメンナよ、だw

音楽は坂本龍一が担当

なるほどね、だから朝日新聞があんなにイキってたのねwジョニデ主演wまあロバートデニーロとかアンソニーホプキンスとかw梅沢富美男かよwおっそろしく演技過剰で、見てるこっちが恥ずかしくなるもんなw


まあ、梅雨空の中、よせばいいのに北アルプスに登ったわけだ、くっそなーにも見えへんwすべてガス(霧)の中だ、テントもシュラフもジメジメビショグショだ、くっそ来週末も懲りずに登るでーw

彼女は「水俣病?あれは漁村の人ばっかりですよ。」って言ってました。

事実でしょうけれど水俣病差別があったから、そういう言葉がでるんでしょう。
https://minamata195651.jp/pdf/situmonn/04situmonn_sabetu.pdf

1 水俣病の発生について
1-4 差別について
Q1 差別している人の気持ちは。
どうしてうつる病気ではないのに、差別を受けなければならなかったのですか。
水俣病にかかった人を同じ地域のそうでない人はどう思ったのか。水俣の中にも病気にたい
する誤解はあったのですか。
A1 当時は病気のことが分からず、「奇病だ、伝染する病気だ」などという誤った情報に「うつ
るかもしれない」という気持ちから差別や偏見がめばえ、過度な反応をしてしまうということ
がありました。被害者に補償金が出るようになると、「お金目当てのニセ患者だ」などと誤解
に基づく差別や「補償金をもらってよかね。私も水俣病になりたい」といった妬みや誹謗中傷
をいわれるようになりました。
チッソに依存して生活している人たちが多く、企業城下町という意識が市民の中に浸透してい
るため、工場を守る、自分たちの生活を守るという気持ちから、患者の行う活動を快く思って
いない人たちもいたと思います。
Q2 いじめや差別をなくすため、環境を守っていくために私たちにできることはなんだろうか。
A2 まずは事実を知ることだと思います。事実を知ることにより、誤解を無くし、差別や偏見を
しないようにしっかりと考え、態度で示していくことではないでしょうか。相手の立場を考え
て、思いやりを忘れない心をもつ、自分がされたら嫌だと思うようなことは人にはしないなど、
周りに左右されることなく自分でしっかりとした考えをもって行動することが大切です。そし
て、水俣病は環境を破壊して起きた公害病ですので、環境を守るために自分ができることを考
え、生活の中で実践することです。水俣市民はごみを減らすように工夫したり、分別収集によ
るリユース・リサイクルを推進したり、身近にある山や川や海を汚さないようせっけんを使う
といったことを行っています。
それぞれが、環境を守るためにはどうすればいいのか自分で考えて欲しいと思います。
Q3 水俣病の人は差別を受けて外に出られなかった時、どうやって生活していたのか。
A3 差別が最もひどいときは、差別やいじめを恐れて、家族に患者がいることを隠して生活をし
ていた、雨戸を閉めてひっそりと暮らしていたこともあったと聞いています。
Q4 水俣病への差別はどんなものがあったのか。
A4 当時は病気のことがよく分かっておらず「奇病だ、伝染病だ」といわれのない差別や偏見が
あり、患者やその家族と会うことを拒まれる、近所付合いがなくなる、共同の井戸を使用で
きない、店で物を売ってもらえない、外を出歩くことを許されないなどで、石をなげられた
りもしたという患者さんもいたそうです。補償されるようになると、妬みやお金目当てのニ
セ患者と思われ、地域の中で孤立した人もいると聞いています。
Q5 水俣病による差別やいじめは今もあるのだろうか。
水俣病はうつらないとわかっているのに、今もいやな思いをしている人はいるのだろうか。
水俣病に対する差別の現状について
A5 現在でも、水俣病に対する差別や偏見が無くなったとはいえません。水俣病に対する知識や
情報が市民に正確に伝わっておらず、誤った情報を信じている人たちの考えを変えることは難
しいと感じています。水俣病は伝染すると思っている人はほとんどいないと思いますが、慢性
型や軽症の患者は、外見からは健常者との区別がつかないために、ニセ患者と思っている人が
いると聞きますし、患者とチッソ側に立つ人との間に大きな厚い壁があることを感じます。水
俣病問題の解決という水俣市の大きな課題に向って、それぞれの立場を尊重しつつ「もやい直
し」の心で協働して取り組むことが必要だと思います。

コロナにも似たような意識が働きます。私もバンコクで感染者が1000人超えたときに、建設現場や工場で大量クラスターが発生してるので外国人や中流市民は大丈夫じゃないかと自分を安心させるために思っていましたが3000人超えてもはやそんな状況じゃないです。
病気というのは差別を生み出すものなのですね。
結論というわけではありませんが、嬢の皆さんワクチン打ってください。お願いします。


>ワシの予想は巨額の臨時給付金でスダレハゲ大勝利である、ジャップランドの民度の低さナメンナよ、だw

ま<堕遺症痢>はあり得へん剣道w
<檻ンピコ>はヤッチ前ばヤッタ悶カチにゃのなロww
<土一揆祭り>は民度のモンダイではなくて気分にゃのDEATH www
汚センキョも<表現の次元でキマル>んで<レイワがアキラレタ>のも<巣刀菅ベイ>wwww


今日みたいな日に山に行くのは
相当な変態なのだな~

まあ変態しか見れん景色もあるのだな~

お気を付けて


老女に「先生」の敬稱を附すべきか、檢討しやうと先の記事を觀に行つたら消えてなくなつてゐたのである。久々にレスがあつたばかりなのに、と途方に暮れてゐたら生ゴミや土壤の話でレスがあつたことを思ひ出したのである。巡囘先で偶々ミミズの記事を見掛けたこともあつて、生ゴミも土壤も消えるが記事も消えるのか、といふ話に腦内でなつたのである。

土壤とミミズとの間に泥鰌は多分介在しないのである。
外形的視覺的また發音上の類似である。念の爲。
たゞし、西村といへば此方↓と思ふのである。


https://bit.ly/3yGah9m
ひろゆき を内閣国家戦略室長に内定と発表 日本政府


オイラは<じょにげっぷ>は木の実ではナイぎゃw
ムキにならん<怪逆さ>はエエんじゃ内海ww

>くっそなーにも見えへんwすべてガス(霧)の中だ、

もすかスルメ<膿舐めの呪い>鴨禰宜www
お祓いすてキャラ<粋な晴れ>やwwww

>「水俣」が世界中から偏見や差別の目で見られる可能性もあるしなあ

この一人語り自体に本人が気付かない嘘があるんだ
偏見や差別は近隣であるのさ、大きく見積もっても、
島国の国内であるのよ 
出自故の、お嫁に行けない、
好きな娘を娶れないという形でね
時と場所を大きく離れて住む、
誰が偏見持ったり、差別すんのw
時代を斟酌するなら、
異国の、それも米国人故に成し遂げた勇気、
という言い方をしてもユージン・スミスの名誉を
貶める事にはならんと思う
片目じゃ済まなかった、
同じ矜持ある日本人カメラマンや報道人がいたとしてさ
だからこそ、感謝なんだけどね

>足尾銅山とかミナマタとかフクシマとか
ヒロシマが先ず枕に来ると思うw
故意も未必の故意も故意なんだからw

広島 長崎 は気の毒だが
他の地域は自ら禍を呼び込んだような
所もあるのだな~
静岡も熱海も風評被害は避けれんな~

食っていくのは大変なのだな~

老女に「先生」の敬稱を附すべきか

オマエさあ、まずオレに「先生」を付けろやw「ナマ印先生!」ああ、いい響きやねーwまあでも正味のハナシ、ナマのオレと相対したら、普通の企業人は”・・先生”をつけるんだけどなww ええよ、ここでは生ゴミでもww


汚れない土地どころか、帝国政府によって核研究で人も土地も汚染されまくってた事実を、歴史修正主義者が消しまくったからな。(特に人材、汚染された人材は湯川とか仁科とか。あ、ボケた、名前が浮かばない、江崎もトモナガも・・・)

頃を同じくして半島で、水豊ダム作って核燃料も確保していた。
敗色濃くなって石川町ではモナズ石採集に小学生まで動員して被爆させまくった。(証拠隠滅のおとり)
人形峠と異ならない。

陸海軍も含め、政府は核開発に必死だったよ。
今では、検索してもひっかからないことだらけ。

削除が入ったのはキチゲーが削除恫喝かけたからで、心配するな、ここには無関係なヤツだし。


先生とか呼ばれてええひびきやなんて思わないけどw
そゆのって「下心」やん?
おもしろい人もいるものねーw

先生とか呼ばれてええひびきやなんて思わないけどw

まあリアルには同感です。あくまでこのサイトの中だけ(対儒教的権威主義者)のハナシなんであまり気にせずお願いします。


ちなみにナマ先生は何の先生の設定かおしえてくらさいw

何の先生の設定

今後のネトゲリでのコメントに差し障りがありますのでw
リアルには企業の担当者あるいは役員の皆さんはワタクシのことを〇〇先生と呼びます。でもワタクシはそー呼ばれるのが気持ち悪いというかこそば(か)ゆいので、〇〇さんと呼んでもらえるようにそれとなく誘導しています。これはオレのポリシーといいますか、20歳も年下の入社したての担当者に対しても、さん付けで通してます。かつて将来オレの奥さんになる人が、会社の若い男性をクン付で呼んでいたことがあって、それとなく(クン付けではなくサン付けにしたほうが・・みたいに)注意したことがあります。いまその当時のことを女房に話しても、えっ、覚えてないwとかしらばっくれてますがw

まあオレとしはこのサイトにきてノーナメくんみたいなペーペーの人と同レベルであーだこーだ言い合うのが楽しいので、リアルの社会的立場はあまり表にしないようにと抑えてるいるわけでありますwこんな回答でいかがでしょうかw


<ナマせんせ>エエ響き屋根w
オイラの気純基準では<膿舐めへの罵倒力>のチヨイ人はミンナ<センセ>でよろしW


安倍前首相「反日的な人が五輪開催に強く反対」 月刊誌の対談に
https://mainichi.jp/articles/20210703/k00/00m/010/034000c

 安倍晋三前首相は発売中の月刊誌「Hanada」で、東京オリンピック・パラリンピックについて、「歴史認識などで一部から反日的ではないかと批判されている人たちが、今回の開催に強く反対している」と批判した。具体的には共産党や5月の社説で中止を求めた朝日新聞を挙げた。

 安倍氏は五輪の意義について、「(日本人選手のメダル獲得などの)感動を共有することは日本人同士の絆を確かめ合うことになる」「自由と民主主義を奉じる日本がオリンピックを成功させることは歴史的な意味があり、日本にはその責任がある」と強調。五輪開催を批判する野党については「彼らは、日本でオリンピックが成功することに不快感を持っているのではないか」とも述べた。

 また、安倍氏は6月9日に菅義偉首相と初の党首討論に臨んだ立憲民主党の枝野幸男代表の論戦姿勢について、「(演説)プランが崩れることを非常に嫌う」と述べ、「『非常に自己愛が強いので、批判されることに耐えられないのではないか』と見る人もいる」と指摘した。枝野氏について、「(当時首相だった安倍氏への)一方的な批判に終始するなど、インタラクティブ(双方向)な議論を避ける特徴がある」とも批判した。ジャーナリストの桜井よしこ氏との対談で述べた。【田所柳子】

反日のレッテルを貼られちゃったw


なんか偉そうw
こんごナマせんせとよぶわw

別スレの基礎研究の話にも通じるんですけど、
私は実務を依頼している実務家に対して「先生」と呼ぶのはおかしいと思ってるんですよね。
過去の実績に対する敬称というのも何かおかしい。
中国語だと思って敬称扱いでいいんですけど
自分の役に立つから先生と呼ぶのは下心過ぎだと思うんです。

どういうのが先生かというと、お金と直接的に関係ないところで何か啓示のようなものを与えてくれるような人かなと。
ですので、夏目漱石のこころにでてくる先生は、ぷーたろーなんですがなぜか先生と呼ばれるわけですが、本当に先生というのはそういうものだなと思うのであります。

個人的には、先生と思ってくださる方に対してはノンバーバルにすーっと後になってふと気づく、そういう深みをどこかで感じていただけるような生き方をみせたいものだなとたまに思います。実際には泥まみれな感じなんですけど。


>ぷーたろーなんですがなぜか先生と呼ばれるわけですが、本当に先生というのはそういうものだなと思うのであります。

まサウイフわけで蟻増すキャラ<センセ>がよろしい仮名とw
<ナマッチ>なんぞと呼んでたのをハンセして<生センセ>でヨロW


ナマ犬大先生よりも大ナマ先生の方は良いかな?大は経緯を表しています。他意はございます。


「ワクチン不足により新規予約受付を一時休止」

でググった結果について偉大なる大ナマ先生、今後の見通しを教えて下さい。

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/vaccine_supply.html

ファイザー社の新型コロナワクチンの供給の見通し

 ファイザー社の新型コロナワクチンの供給については、現時点では、以下のような見通しです。この見通しは、欧州の透明性メカニズムに基づく輸出の承認などを前提としています。

 ※1箱は195バイアル(1バイアル5回接種の場合975回接種分、6回接種の場合1,170回接種分)です。

医療従事者等への接種に向けた供給見通し

○1回目の接種分
 ・3/1の週  500箱
 ・3/8の週  500箱
 ・3/22の週 200箱
 ・3/29の週 200箱
 ・4/12の週 1,200箱
 ・4/19の週 1,200箱
 ・5/10の週 1,000箱(1回目接種・2回目接種分の合計)を供給し、対象者が約480万人(※)となると見込んでも、必要量の配送を完了できる見込み

○2回目の接種分
 ・3/22の週 500箱
 ・3/29の週 500箱
 ・4/12の週 200箱
 ・4/19の週 200箱
 ・5/3の週  1,200箱
 ・5/10の週 1,200箱
 ・5/10の週 更に1,000箱(1回目接種・2回目接種分の合計)を供給し、対象者が約480万人(※)となると見込んでも、必要量の配送を完了する見込み
(※)全国知事会調べ

住民への接種に向けた供給見通し(配送時期)

 希望する高齢者に、7月末を念頭に各自治体が2回の接種が終えることができるよう、政府を挙げて取り組んでまいります。

  【第1クール】4/5の週  100箱 (各都道府県2箱、東京・神奈川・大阪は4箱)
  【第2クール】4/12の週  500箱 (各都道府県10箱、東京・神奈川・大阪は20箱)
  【第3クール】4/19の週  500箱 (各都道府県10箱、東京・神奈川・大阪は20箱)
  【第4クール】4/26の週 1,741箱 (全ての市区町村に1箱)
          5/9までに 4,000箱
  【第5クール】5/10の週と5/17の週の合計 16,000箱
 ※第5クール以降では、1バイアルから6回接種が可能な注射器を配布します。
  【第6クール】 5/24 の週・5/31の週   16,000 箱
  【第7クール】 6/7の週・6/14の週  13,500 箱
  【第8クール】 6/21の週・6/28の週 16,000 箱
  【第9クール】 7/5の週・7/12の週  11,000 箱
  【第10クール】7/19の週・7/26の週  10,600 箱

  合計 89,941箱分

 

参考資料・リンク

 ・参考資料
    新型コロナワクチン配送スケジュール(令和3年6月3日時点)[PDF:488KB]
 
 ・リンク
    河野内閣府特命担当大臣記者会見要旨

教えていただいたサイトだと思うのですが、今週からすでにざっくりみると3割程度はワクチンの供給量が減っていて、しかもその先、8月の予定がわからないみたいです。こんな中でも地方自治体はワクチン接種のペースを落とさずに接種を進められるんですよね?


<膿舐め>は<ノーナメせん(餞)>でヨロW


むっちりした高齢のおっさんにはそばに来てほしくないので、これはウィン・ウィン。

紐に繋がれたお犬様には届かないところから石を投げるのが正しい作法ですし。


明日の<タナボテ賞>前回当てた<ウジTV>の<お笑いセンセ>はw
今回はアテに来ないとヨムww
オイラ的には<霊のごとく>穴馬の指摘ダケwww
ハーツ産駒の3・11・13・15のうちのどれかwwww
3練炭での組み合わせニャラ100マンコの盲毛もうけwwwww

ユージン・スミスの写真集があったと思って書架を探したが見つからず、
代わりにセバスチャン・サルガドかなんかの写真種が2冊ほどありました。

暗室に30分も入っていたら、定着液の臭いで吐きっぽくなってしまう私なので、
暗室作業で良質なゼラチンシルバープリントを作るという考えはもとより放棄していました。

その存在が気になりながら、ユージン・スミスの写真集を持っていなかったり、
有名な石牟礼道子の本(『苦海浄土』)も読んでいなかったりと、
私なりに、「水俣」「ミナマタ」という地名と現実を超えたところで、
何か引っかかるもの(反発する感覚)があったのかも知れません。

良質なファインアートとしてのドキュメンタリー(ノンフィクション写真)というものに、
何かしらの物語的な要素(野心)の気配を感じて、昔は敬遠していたような気もします。

ということで、

「えがしら」といえば、おそらく「江藤淳」もその一族であるらしいということで、
やんごとなき方々に嫁した江頭由来のお方とあわせても、
私にとっての一番有名でエラい「えがしら」は、なんといっても
「江頭2:50」ということになるわけです。

ところで、

「なませんせい」は、漢字で書くと「生先生」となるわけで、
上から読んでも下から読んでも漢字の回文になるという具合ですね。