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顔がブスでも心までブスになるな

2021年11月10日

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顔がブスでも心までブスになるな

2021年11月10日




室井佑月と仁藤夢乃のバトル、というんだが、フェミ界隈がまたそれぞれ仲が悪くて、フェミキチw ファミチキじゃないよ、フェミキチw フェミってなんであんなに心が狭いのか? で、フェミニスト代表の仁藤夢乃さんから公認をいただいた『夫の性欲処理機』という言葉なんだが、『夫の性欲処理機』というパワーワードなんだが、そりゃ世の中には『夫の性欲処理機』である事に誇りを持っているオンナもいるだろうから、『夫の性欲処理機』が怒るぞw

仁藤夢乃 Yumeno Nito
@colabo_yumeno
女性差別、女性の人権、ジェンダーの問題に取り組むことを「余裕のある人の趣味」と言って批判され「私がそう思っているとは言っていない」「過激に非難」などというのもよくある差別男の反応だが、批判者の中でも若い女性を『選んで』引用リツイートしているのも意図的で典型的な女性差別者のやり口。

仁藤夢乃 Yumeno Nito
@colabo_yumeno
パパ活買春したことについて「今は奥様()がいる」「もう女子大生には欲情しない」「女子大生と純愛したかっただけ」「いつまで掘り返すのか」という人がいるけど、妻がいる男も普通に買春するからね。男性たちこそ、わかっているはずだよね。買われた女に人権はなく、買春者は堂々とし議員にもなれる

仁藤夢乃 Yumeno Nito
@colabo_yumeno
そして妻も夫の性欲処理機ではない。

室井佑月
@YuzukiMuroi
はぁ? これあたしに言ってんのか。

さて、そんな室井佑月なんだが、なんか甘えたような喋り方をするオンナだなぁ、というくらいの印象しか持たないんだが、物書きらしい。ミスコン荒らしからモデル、女優、ホステスなどを経由して、雑誌のコンテストで入賞して物書きになる

製薬会社のMRの父と元ホステスの母の間に生まれる。父親が愛人を作り、以来母子家庭で育つ。栃木県立石橋高等学校卒業[3]。
ミス栃木[2]、ミス公園通り(渋谷区)、雑誌モデル[2]、レースクイーン[1][2]、女優、銀座クラブのホステス[1][2]など様々な経歴を持つ[3]。
喫煙者であり、紙巻きたばことiQOSを兼用している。昨今の嫌煙権運動については「個人の問題なのだし、見ず知らずの誰かさんに、そこまで呪われるようなことでもない」と語っている[13]。
フェミニスト代表の仁藤夢乃から公認をいただいた『夫の性欲処理機』。

さて、もう一方の仁藤夢乃なんだが、知らなかったので画像検索してみたらキンタローに酷似したオンナが出てきたw

両親は不仲で暴言が飛び交う家庭で育ったという。中学3年生のときに父親が単身赴任して母親と妹3人暮らしとなり、高校時代は昼夜逆転の生活を送り、月に25日は渋谷のカラオケやファーストフード店で朝まで過ごしていた。母親はうつ病で寝込み、家庭内暴力もふるうこともあった[2][3]。高校1年生の終わりにはメイドカフェで働く[4]。店の経営者はキャバクラや風俗店も手掛けており、心配した母親がカウンセリングを奨めてきたことから親子関係が悪化した[5]。高校2年の夏に中退し、大学入学資格検定受験のため河合塾コスモに通い4か月後に合格する。

室井佑月も仁藤夢乃も、似たような経歴なのが注目されますねw 若い頃からオトコを食い物にしたり、オトコに食い物にされたりして生きてきたオンナw 食うか食われるかの中で拗らせてフェミになるw

【パヨゲバ】ハッピー米山批判の仁藤夢乃さんに妻の室井佑月ガチギレ「あたしに言ってんのか?」

あたしバカだからわかんないけどぉ

が枕詞のバカまんだっけ

室井で性欲処理出来ないだろ

↑ 穴くらい付いてるだろ

締まりは知らんが

こいつ嫌いだけど
女の敵と識別したら党派思想問わず食ってかかるところは評価してる

その辺のパさんはダブスタで日和るからダサい

米山も室井も結婚したら表情が穏やかになったように見える

やっぱり人を愛したり愛されたりした事の無い愛を知らない年増が社会の害悪になるんだなって

これは思った
2人で並んでる写真は実に幸せそうで
米山の人相変わったよね

こいつらを嫌いな事には変わりないけど幸せになれて良かったねと自然に言える

パヨさん特有の狂犬マンさんほんとすき

名誉北大生も元気らしいしええ事や

パパ活売春を禁固5年とかの厳罰にすべきですね。売るから買いたくなるのであってそもそも無ければ買わないでしょう。

室井佑月、余裕有るなw

やめてくれ、楽しすぎて酒がうますぎる

フェミニストなんて普通になれなかった嫉妬で超攻撃的になってる連中なんだから相手しなきゃいいのに

米山は嫌いだが、マトモな事いってると思う。

これに食ってかかるから、ジェンダーは相手にされなくなる。

室井はミスなんとかとかクラブのママで成り上がった女だしなあ

性的搾取がどうたらのガチフェミとは実は相性が悪い

着エロ石川「・・・」

単純に「奥様がいるからもう女子大生には手を出さないってなに?奥様は性欲処理機じゃないんだけど」って言いたいだけにしか読めないがなんでキレてんの

↑ そうだよね

室井がスルーしても構わない局面だと思う

↑ 旦那のことを本気で好きなんだろ。

選挙中の映像見たけど、すげー仲良さそうだもん。

↑ この夫婦それぞれ単体だとどっちも嫌いだけど、愛し合ってそうな熟年夫婦は見てて幸せになるな

フェミは大体単体だし、ヒステリックに噛み付くから大嫌いっつか生理的に無理

コメ山さんの嫁が美人だからパヨフェミに嫉妬されて大変だな

2人とも

うるせえ!ぼけ!っていいながらひっぱたいてやりたい

でもこれ仁藤の応援増やさんと四面楚歌過ぎて長続きせんやろ
誰かレスバトル参加したれ

ワイは嫌やけど

登場人物がみんなキチガイでワロタw
にしてもパヨク界隈には言論の自由という当たり前なものがないのかよw

ハッピーメールが何を思い何を語ろうと全否定される筋合いはないわな

自分は好き勝手言う自由があり、他人には無いというのが常識だからな

こんな連中がジェンダーだ多様化だとか言ってるんだから呆れる

田嶋陽子選手のリング内乱入マダー?

↑ あの人こういう犬の餌にもならん争いには首突っ込まんよ
そもそもツイフェミ系とはかなり距離取ってる

似てるようで実は別物なんですわ

代議士の妻が舌足らずの池沼売春婦でマジやべえ

とにかく攻撃的で相手の話を理解しようとしないよなぁ・・・一歩でも引いたら負けの争いしかできんのか?

仁藤と室井

どっちの味方をすればいいの?

↑ とりあえずポップコーンを用意するんだ

↑ 蜀と呉が戦い合うのを眺めてればいいのです

↑ 両方煽って

特等席で観戦

仁藤夢乃って過去のいじめ告発されて炎上してたやつだろ
自分のことを棚に上げてよくこんなこと言えるよな

ルフィも顔がブスでも心までブスになるなと言ってたけどその通りだと思う

室井佑月はホステス時代も勝ち気で、他のホステスと喧嘩ばっかしてたらしいから

こうなるやろ。

クズがクズ批判してクズの嫁(負けじとクズ)が噛みつくという

関わり合いにならずに済む限りは楽しい状況よなw

さ あ 、 も り あ が っ
                  て
                     ま
                       い
                         り
                          ま
                           し

                           た

悪魔と妖怪が争い始めたら人間はどうするべきか

この流れは誰も損しないのでずっと殴り合って欲しい

買われた女に人権はなく

売った女な

両方嫌いだけどイジメで人の尊厳踏みにじった過去があるくせによく米山の過去を責められるな

まあこの件は米山が正しいわな

ネトウヨが米山を全面擁護しててワロタ

ハピメで女買って年老いた親が釈明してたからなw
あの子はもてなさすぎて不憫なんです

魔が差したんですってw

あたおか同士の戦いw

米「ジェンダーよりも経済や福祉のほうが優先だ」
夢「女買ったやつを、統一候補とかジェンダーのことなんか考えてねーだろ」

どちらも正しいなw

物事が自分を中心に回らないと気がすまない奴ら同士の決着は付くのか

ハッピー米山の母ちゃんが不憫すぎるw

医者で弁護士とか自慢の息子だっただろうに

女買って知事を辞任とか、舛添よりひでーからなw

買われた女に人権がないとかよくわからん

肉体労働で給料もらうのと基本的には変わらんだろ

ビル建たせるかちんこ立たせるかの違いだけ

室井佑月も仁藤夢乃もどちらの性欲処理機にもなりたくないおいらだが、カネに困って、身体を売らなきゃ食うものがなくて死んでしまう、というような状況だったらそりゃ、売るかも知れない。売れるような身体じゃないがw 売春というのは、売る方にも都合があって、人間の尊厳よりカネが欲しいんだから、買う側を責めてもどうにもならない。そりゃ、売ってるから買うのだ。

食うか食われるかの中で拗らせてフェミになるw
というか「チヤホヤされなくなった」現実を直視出来ずに屁理屈捏ねくり回した末なんじゃ。
若い時からチヤホヤされなかった個体は若年期に発症するし、そこそこで生きてきたら更年期に発症するw
もうねー「なんちゃら女子」ってのを撲滅したらいいと思いますよ。
そのまま年相応の「オバサン」であることをそのまま肯定。
チヤホヤされんで当たり前。
逆に人間一個人の評価対象になるって至極フェミニズム的だと思うんですが。
「更年期女子」とか「こどおじ」以上に醜悪に見えるんですよねー。


本質の抜けた感情剥き出し、こんなのばかりだから、女性の地位は向上しないのです。
古来、女性は太陽であった時代に戻って頭を冷やして来なさいね。ついでに、
ジェンダーフリーについても、マスメディアはなぜマツコさんに聞かないのか?
聞いたらチョーマトモな意見が返ってきてしまうからでしょうね。ご愁傷様。


 一つだけ、極めて異常に途方もないほど、

 はっきりしていることがある。

 それは、どっちのオナゴも、

もてなく
「生まれちまった悲しみに」
打ち震える男たち

のことなんか、

 「少しも関心ノットアットオール」

 ということw


強者は軛を逃れて
もっと自由に振舞いたい
その影響、ツケは凡〜弱者に回したい。

でもそれだと正当性が得られにくいので
男vs女とか右vs左とか
別の対立軸に常にすり替える


売春するならするでおkだが、学費のため病弱な家族の治療費のため、
って聞いて感心し褒めるのは粗チンおっ立てた保守オヤジだけでしょうな。
僕ら左翼としては、学費医療費は行政府が負担すべきであって、むしろ
ブランドバッグ購入やお気に入りアイドルやホストに貢ぐために売春する
世の中のほうがどれだけ健全か、って思うわ。


「ブスは顔にでる。だから私はブスは大嫌い。」と言ってるだけで
綺麗な女の子が寄ってきた。

>世の中には『夫の性欲処理機』である事に誇りを持っているオンナもいる

 好色ものの伝統のある浪速っぽは、どういう反応だろうな。

(関西と関東)
「今東光の『こつまなんきん』は「わてのことを口説いておみやす。こつまなんきんみたいに固うて、締まって、味よろしイ」と自慢する、お市という河内女が主人公になっている。」
https://1000ya.isis.ne.jp/1563.html

ぼくは京都・鵠沼・日本橋で育ち、
17歳からは横浜と東京各所で暮らしてきた。
そのなかで、言葉と声と味をまたぐ
「口」と「耳」の風土力を感じてきた。
そこに「二つ以上の日本」があると知った。
残念ながら、いまだ列島の南北を動けていないのだが、
東西日本の対照性については、
かなり刻印されてきた。
風土も着物も、出汁(だし)も邦楽も、政治も差別も。
いったい関西と関東は何が違うのか。
この二つの地域力は、このままでいいのか。
宮本又次さんの軍配を使ってみた。
 カタルーニャ(カタロニア)の独立投票はスペイン政府から憲法違反だとの咎めがあって、調査行為とみなされる自主投票に格下げされてしまったが、投票率4割のうちの約8割の住民が独立を望んでいた。今後が愉しみだ。
 その前に話題になったスコットランドの独立投票のときは、決定数を上回れなかった。イギリス(UK)は、正式には「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」である。そこにイングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドが入る。それぞれずいぶん異なる風土と人種感覚と産物がある。今後もこの4地域が並立していくかどうかは、なんとも言えない。
 いっとき「東北人はスコットランド人に似ている」と言われていたことがあった。ぼくはいつのころからか、東北4県の自立に期待をしてきたようなところがあって、スコットランドの独立の是非を問う投票にも胸騒ぐものを感じていたのだが、実態はなまやさしいものではないのだろう。

 スペインやイギリスとは風土も歴史も事情が異なるけれど、日本も花綵列島の中でさまざまな風土や文化や気質や嗜好が分かれてきた。方言の違い、風味の違い、歌謡の違いもそうとうにある。それを地域文化でどう分けるかは、なかなか微妙なセンスが必要だ。
 いまは天気予報がそうなっているように、日本を北海道、東北、北陸、関東、中部、関西(近畿・畿内)、四国、九州、沖縄諸島に分けるのが通常だが、こんな地形的区分けは何もあらわしていないと、たいていの土地の人たちは感じている。
 同じ中部でも愛知と岐阜は違う。新幹線がないころ、ぼくがいつも感じていたのは大垣から乗ってくる客の声や動作で東海道の文化ががらりと変わることだった。トコロテンを箸一本で食べるのは同じなのに、隣りどうしの尾張と三河だってずいぶん違っている。
 北陸も越後・越中・越前ではそうとうの別国だ。かつては同じ「越」(高志)の国ではあったけれど、いまでも糸魚川を渡るとあきらかに別のクニになる。寒ブリの味も変わる。そもそも富山人自体が五東五西を分けているし、石川県では金沢と能登とはまったく異なる文化圏なのである。

 しかしわれわれの歴史的な社会文化観は、大きく東日本と西日本に分けるのを好んできた。とくに関東と関西を比較することが歴史的に続いてきた。
 この区分けはどうやら日本人の好みにぴったりくるものがあったようで、徳川社会に東海道五十三次が登場して「上り」と「下り」が鮮明になってからは、やたらに西と東を比較することが多くなった。たんに比較されたのではない。関西は関西として、関東は関東としての誇りと自慢と意地をもつようになった。どちらも威張りたい。
 それがいまでも続いていて、橋と箸のアクセントが関西と関東では逆になり、朝・花・海のアタマを上げるかシリを上げるかで出身がわかる。踵は東京ではカカトだが大阪ではカガトだし、「そうですか」は「さよか」、「どうですか」は「どや」なのである。
 それが芸能にまで及ぶ。東の落語と西の落語はいまなおそうとう異なるし、歌舞伎も西の和事は東の荒事とずいぶん趣向が違っているままにある。坂田藤十郎などの上方役者は「濡事」がうまく、市川家などの江戸の役者は「実事」に当たり狂言が多かった。実際にも、そう思う。

 大都市の東京と大阪はいまも張り合っている。これは秀吉の大坂城が徳川に攻められたからとも、江戸の旗本町奴のイナセな風情と大坂の商人感覚とが対照的だったからとも言われるが、大久保利通の大阪遷都論が一蹴されて東京遷都が決定してからは、さらに目立ってきた。天皇が東京の皇居に移ったので、御所が空いた京都も東京に反発するようになった。
 そうでなくとも、東京方面の「バカ/りこう」の感覚と京阪神方向の「あほ/かしこ」の感覚は、まったくその睥睨の感覚が違ってきた。『全国アホバカ分布考』(718夜)でたっぷり紹介したことだ。
 こういうことは、ウナギの蒲焼きにも、味噌の好みにも、労働着の出来具合にも、「いろはかるた」にも顕著にあらわれている。かるたでいえば、たとえば東京式の「イ」は「犬も歩けば棒にあたる」でチャンスメイキングの教訓になっているのだが、大阪式では「石の上にも三年」で辛抱することを教える。東京は努力だが、大阪は辛抱なのだ。違いは歴然なのである。「ロ」もまた、東京式が「論より証拠」で理屈っぽく、大阪式は「論語読みの論語知らず」というあてこすりだ。

東のバカと西のアホ
アホバカ分布図の一部。実は同心円上にあほとバカは分布される。
 日本をおおざっぱに関西と関東に分けるようになったのは、大化改新のあとに三関がおかれたせいだった。
 三関は伊勢の鈴鹿、美濃の不破、越前の愛発(あらち)で、この三つの関をつなぐ線よりも東が関東になり、西が関西になった。その結果、関東一円は東海道15ケ国、近江を除く東山道7ケ国、北陸道6ケ国の計28ケ国をさし、関西は三関以西の諸国に5畿内と東山2道を加えた計38カ国をさした。
 以来、関東と関西の特徴はいろいろなところにあらわれてきた。たとえば「東の源氏」に対しては「西の平家」だ。平家は船と打物(うちもの)を武器とし、源氏は馬と弓を武器にした。平家は滅亡したと言われているが、落ち武者はたいてい西に流れた。仏像なども西は古くから乾湿像や銅像が多く、東はヤリカンナによって木目をいかす木彫仏を得意にしてきた。
 本書はそういう関東と関西の違いを縦横無尽に綴り上げたもので、こういうことを書かせたら日本一だった宮本又次さんが自在に書いている。

 宮本さんは戦前に『株仲間の研究』(有斐閣)を著して、その後もずっと近世の商人社会を徹底して研究した人だ。いったんフランスの商業経済史と比較して日本商業史についての労作を次々に問い、その後は大阪の商業文化にやたらに詳しくなった。
 京都帝大から彦根高商・九州帝大・阪大・関西学院の教授をへて、宮本商業経済学ともいうべき独特のジャンルを打ち立てた。『小野組の研究』で学士院の恩賜賞をもらってもいる。
 著書も多い。『日本近世問屋制の研究』(刀江書院)、『鴻池善右衛門』(吉川弘文館)、『船場』(ミネルヴァ書房)、『大阪人物誌』(弘文堂)、『大阪商人太平記』(創元社)、『大阪繁昌記』(新和出版)、『キタ』(ミネルヴァ書房)、『企業にしひがし』(日本経済新聞社)、『五代友厚伝』(有斐閣)など、軒並みだ。
 1977年には『宮本又次著作集』全10巻(講談社)も刊行された。なかで『豪商列伝』と『大阪商人』は講談社の学術文庫にもなっている。ぼくの仕事を長らくサポートしてくれてきた大阪の荒木基次君は、ずっと前から「大阪のことは宮本さんを読まんとあきませんわ」と言い続けてきた。
 それなら一冊読むなら何かというと、ぼくは『大阪繁昌記』だったけれど、諸君には本書『関西と関東』を薦めたい。1967年の日本エッセイストクラブ賞受賞作にもなった。読んでいて愉しいところもいい。さいわい文春学藝ライブラリーで文庫化もされたので入手もしやすいだろう。

単行本と文庫の『関西と関東』
 さて、関西と関東を比べるにはどこから入ってもいいのだが、せっかくだからちょっと意外なところから入ると、まずは雨の降り方が違うのだ。いや、これは必ずしも気象学的なことではなくて、印象が違う。
 関西は雨の頻度は必ずしも多くないのに、降ればどしゃぶりが多い。滝沢馬琴は『羇旅漫録』に、京都では雨天でも合羽を着ない。合羽を着ているときは遠出だと思ったほうがいい。これは雨が横に降らずにまっすぐ降るせいだと、なかなか鋭い観察をしている。
 関東はいつもしょぼしょぼ降っている。ただし、その雨はなんとなく横に降る。なぜか江戸では斜めの雨や横雨なのである。そこで広重のあの斜めの線分のような雨が描かれるのだ。吉行淳之介(551夜)の『驟雨』の感覚だって、あれは東京の娼婦の家なのだ。織田作之助(403夜)とは異なる。
 米山正夫が詞と曲をつくった美空ひばりの『関東春雨傘』という名曲がある。「関東一円 雨降るときは さしていこうよ蛇の目傘 どうせこっちはぶん流し」とあって、「えー、抜けるもんなら抜いてみな、斬れるもんなら斬ってみな」からひばりが啖呵を切って、「あとにゃ引かない女伊達」と結ぶ。高校時代に浸りきった。

 雨が変われば梅雨が違い、梅雨が違えば田畑が変わる。そこで「西の田」「東の畠」というようになった。
 稲作が西から入って東上あるいは北上していったのだから、これは当然であるようだが、それだけではない。西は灌漑用の貯水池も多く、そこから巧みに水利をまわすしくみが発達し、そこに西国独特の村落共同体が生まれていった。
 一方の東は、土壌や地質に特徴がある。関東ローム層に覆われていて、武蔵野のクヌギ林と赤土が、雨が降れば履物にべっとりとつく。灌漑の技術もあまり発達しなかった。これでは関東はイネよりソバやカンピョウなのである。
 田畑が違えば、当然、野菜も違ってくる。京大阪は野菜がうまい。フキ・みずな(水菜)・大根・かぶら・ネギ・ナス・キクナ、いずれもうまい。天王寺かぶら、賀茂ナス、毛馬キュウリ、守口大根、九条セリなど、昔から有名だった。
 対して、関東の野菜は長らく遅れをとってきた。なかで自然薯や関東ネギや関東大根が評判になった。千住ネギ、練馬大根、西町大根、亀戸大根などだ。そのほか関東以北が自慢するのは山菜で、これは関西ではそんなに重視してこなかった。関西の山の幸はマッタケだ。

 野菜の名前に東西の差が出てくることも少なくない。カボチャはもともとはポルトガル人がもってきた「カンボジア」に由来するが、同じポルトガル語の「ボーボラ」が琉球や西日本では「ぼうふら」になったこともあった。
 大阪ではカボチャは「なんきん」である。これは中国語の南瓜が転じて、大阪に定着した。
 ちょっと余談になるが、大阪では見かけは悪くとも噛みしめると味がやたらによい「なんきん」が愛されて、これを「勝間(こつま)なんきん」と言った。大阪西成あたりでよく採れた。転じて、「こつまなんきん」はそんな味がする女のことをさすようになった。今東光の『こつまなんきん』は「わてのことを口説いておみやす。こつまなんきんみたいに固うて、締まって、味よろしイ」と自慢する、お市という河内女が主人公になっている。

 水の違いは味の違いにつながり、その違いが食べ物の嗜好や料理のつくりや味付けの違いになっていく。
 早い話が、握り飯やおむすび(おにぎり)は、京阪は俵型で、関東ではまんまるか三角形なのだ。最近のコンビニのおにぎりが三角形が多いのは、海苔が巻きやすいからなのではなく、東京の食品形態が優位になったということだったのである。
 どこにでもおなじみの稲荷寿司だって違っている。関東では長方形の油揚げを横に二つに切って開いて飯を入れるけれど、関西風は正方形の油揚げを対角線に切って寿司飯を入れ、これを握る。長方形に握るときは干瓢を帯状に巻いて、あしらった。
 もっと決定的なのは、江戸では朝にご飯を炊く「朝炊き」が一般的であり、これに対して京阪では「昼炊き」だったということだ。このため関西では朝に茶漬け(ぶぶ漬け)が好まれた。ひるがえってそもそも関東では、かつては「炊く」のは飯(めし)だけで(だから「飯炊き」とか「飯炊き女」という)、あとはすべて「煮る」だった。
 もっとも、冷や飯(おひや)をどう活用するかは日本の家庭の工夫のしどころで、お櫃に入れたり、布巾をかけたり、再炊したりするほか、雑炊やおじやや粥にもした。その雑炊のタネや味付けが全国津々浦々なのである。つまり日本のお国自慢は、主食ではなく、その再利用や再々利用からなのだ。
 ちなみに基本的なことを言っておくと、日本人が一日三食になったのは明暦をこえてからのこと。加藤雀庵の『綿蛮草』に「今の世の如く上下とも一日三食食ふやうになり」とある。
 中世までは武家は一日二食、僧侶は一日一食だった。これは徳川の初期社会までは、「飯」といっても籾をとった玄米を甑(こしき)にかけて蒸(ふか)した強飯(こわめし)だったので、腹持ちがよかったのだ。麦や粟や稗を入れることも多かったせいもある。

 おかずも東西ではさまざまな傾向が違っていた。そもそも京阪では「番菜」、江戸では「惣菜」だ。だから京都ではいまだにおバンザイという。
 主菜という言葉がいまも使われているように、東西いずれも菜っ葉(関西ではナナ、関東ではナッパ)を大事にしたことには変わりないのだが、酒の肴というときのサカナは、実は「酒菜」のことだった。

 このように東西の食文化が劇的に違うのは、いまさら言うまでもないだろうけれど、正月の雑煮とお節にこそいまなおあきらかで、日常会話でも「えっ、餅を焼かないの?」「里芋、入れる雑煮?」といったやりとりが頻繁にかわされる。
 もともと雑煮は年神祭の直会(なおらい)から派生した。年神とはその年の恵方を示す来訪神(マレビト)をいう。それを祝っての雑煮なのだが、江戸では鰹節の汁を沸騰させて切餅をこんがり焼いたものを入れ少し煮て、そこに小松菜などを加えた。関西は白味噌の汁に丸餅を入れて沸騰させ、そこに小芋・大根・干しアワビ(椎茸)を入れた。ぼくの家ではこれにたいてい花カツオをふりかけた。
 お節は「五節供」が本来で、ふつうは「お煮しめ」(煮染)という。これを重箱に入れる。関西では組重の上が数の子、二番目がごまめ、三番目が卵焼き・串貝・つくね芋、四番目に鮒甘煮・ぼう鱈・くわいなどとなり、別の組重に、一重に水菜・おひたし、二重にたたき牛蒡、三重に人参・昆布・黒豆・梅などを入れた。公家っぽい。
 これが関東では、田作り(ごまめ)・数の子・黒豆が祝い肴の三品で、組重に栗きんとん・伊達巻き・紅白蒲鉾を欠かさない。酢の物として紅白のなますを入れるようになったのは、明治期以降のようだった。

 魚は昔から「関東サンマ、関西サバ」という。東京落語の「目黒のサンマ」もそこから派生する。京都から福井に向かっては鯖街道がある。日本海のサバが越前から運ばれた名残りだ。
 ついでにいえば、関東の自慢はサワラ、関西はグジ(甘鯛)である。グジは若狭から塩をあてて今津へ、今津から大津・逢坂山をこえて三条粟田口に入った。若狭のカレイの生干しとともにグジの潮煮や酒ぐしが好まれた。一方、江戸のサワラは伊豆あたりから運ばれて、花見時のサワラの照焼となって町人が大いに舌鼓を打った。
 ウナギは東西どこにもあるが(すでに大伴家持がウナギは夏痩せにいいと書いている)、ドジョウはやっぱり関東だ。柳川(ドジョウ鍋)を隅田川あたりの小屋掛けや料亭でつつくのは、関東の男たちの心意気だった。
 これに匹敵するのは関西のハモである。やたらに旬にうるさい。ぼくは京都時代からずっとハモがだめで、東京に来てからはドジョウがだめだった。いまでも京阪の連中が「もうハモ食べはりましたか」と言うと、うんざりする。
 魚をすり身にして食べるようになると、さまざまな練り物になる。これをぐつぐつ煮て櫛に刺し、適当な味噌で食べたのが「おでん」(味噌田楽)であるが、こちらは関東の得意技だった。そこで関西では「おでん」のことを「関東だき」と言う。

 料理や味の話はキリがない。だいたい関西の「薄味の起源」までさかのぼらなくてはならないし、いっぱしの懐石料理のルーツの話も必要になる。そういうことは宮本又次さんは好きではなかった。そこで、ここからは東西のおしゃれの感覚的な違いを、ちょっとだけ見ておきたい。

 しばしば「京の着倒れ、大阪の食い倒れ」と言われてきたものの、これは時代によって動いてきた。久須美祐雋の『浪花の風』では「京の着倒れ、江戸の食い倒れ」だった。久須美は大坂も着物のおしゃれがさかんだと書いている。
 そもそも上方とくに大坂は桃山期のころに堺から相当の舶来品がどんどこ入っていて、天和のころには女性の礼服に綸子(りんず)、絖(ぬめ)、天鵞絨(びろうど)、唐織などを着るのはざらだった。宮崎友禅斎が西陣で派手な友禅を染める気になったのは、こうした大坂の勢いに感染したからだとも言われる。西鶴(618夜)の浮世草子はこの風情に乗った。
 その西鶴は『本朝町人鑑』では、それにしては大坂は厚化粧をしすぎになって、御所白粉(ごしょおしろい)を二百ぺんも塗りたくっていると揶(からか)った。いま大阪はケバイほうの代表になっているが、その伝統はこのころからあったわけである。
 その後、糊置き師の一珍が一珍糊を工夫して、これで友禅が簡便になり、京都でも広まった。そうなると、おぼろ染、あかね染、御所染、本御所染などと京都の職人はさすがに工夫する。それでも、その豪華なものを着るのは大坂の茨木屋幸斎や淀屋辰五郎らの豪商たちと、その一族や仲間だった。

 宝暦から安永にかけて角袖が流行した。ほぼそのとたんと言っていいほどに、意匠にさまざまな「粋」や「通」が登場した。
 藍色や茶色や鼠色が好まれ、小紋(こもん)・縞(しま)・絣(かすり)が流行し、桟留(さんとめ)、市松、金巾(かなきん)、青梅、琥珀などが評判になり、歌舞伎衣裳や浮世絵が三筋格子や三桝(みます)をつくって大向こうを羨ましがらせた。
 桟留は最初は島渡りだったけれど、たちまち各地で織られるようになって、細縞・二筋・大名縞・めくら縞・横縞などの多様な様相を呈した。占城(チャンパ)、老枢(ラオス)、弁柄(ベンガラ)などの古渡(こわたり)・中渡・新渡の流行も続く。『縞のミステリー』(1537夜)のときにも書いたことだ。
 もっとも、こうした渋い縞柄をみごとに着こなしたのはもっぱら江戸の町人のほうで、ここから江戸好みの「粋」(いき)の感覚が縦横に発露し、浮世絵にもその衣裳や風姿がさかんに描かれた。対して大坂は紬(つむぎ)の本結城が一番で、それを上方ではイキとは言わずに「粋」(すい)というふうに呼んだ。これが島の内の言っぷりで、船場ではこれを「こうと」と言った。
 「こうとやなあ」という感覚はよほど上方センスに通じていないとわからない。京都ではそこをしばしば「はんなり」と言うが、ぼくは以前から、この言葉の使い方はおかしいと思ってきた。もとは「花なり」で、何か華やかなものが少し染め出しているような感覚が「はんなり」なのだ。『落葉集』の「聞き初め足るる早咲梅のはんなりと」という、この感覚だ。

 おしゃれは着物ばかりではない。髷(まげ)や化粧や足袋や持ち物にもあらわれる。それが東西の女たちの妍の競いにあらわれ、男伊達にあらわれ、言葉づかいにあらわれた。
 だいたい東西の顔の土台からして、徳川中期から「江戸のうりざね、京のまるがお」「江戸の中高(なかだか)、上方の平面(ひらおもて)」などと言われていた。むろん全部が全部そんなわけではないにせよ、菱川師宣の描いた美人は武士の妻が理想になっていて、これがやがて遊女の浮世絵になっていくのだし、上方の美人は西川祐信の「丸顔さくらいろ」に象徴され、これが芸妓のモデルや近代日本画の美人絵にまで続いたのだ。
 髷も東西で結い方が競われた。関西風は唐輪(からわ)が兵庫髷になり、そこから根結・玉結・笄髷・御所風・太夫髷・銀杏髷などのヴァージョンが分かれ、関東風は若衆髷が女髷に転じて、勝山・角ぐり・ぐるぐる・丸髷になって、やがて島田になった。勝山は吉原の遊女勝山が腕をふるった創作で、前髪をひっつめて、つとを思い切って出すという結い方だ。
 そのうち兵庫髷は立兵庫・横兵庫・結立兵庫・うつぼ兵庫などを生み、島田は島田で高島田・投島田・腰折島田などが鴛鴦・つぶし島田・禿(かむろ)島田・銀杏くずし・奴(やっこ)島田のバラエティをつくっていった。まとめて島田のルーツはいまは元禄島田などと言っている。
 むろん徳川晩期や明治になってこれらはまじるのだけれど、また結髪師の手に負えなくて廃れるものも出てくるのだが、いずれも溜息が出る美しい結構だ。それをまた浮世絵師たちがみごとに描き分けた。与謝野晶子の「乱れ髪」がそのあたりのラストシーンだったろう。

西の美人
西川祐信『春の野遊図』

西の兵庫髷と笄髷・東の島田髷と勝山髷

 男の髷もある。というよりも、もとは男の髷から女髷が転用されていったわけだった。大銀杏、銀杏髷、月代(さかやき)、丁髷(丁髷)、茶筅髷、本多髷、奴髷などがある。これが身分社会のなかで武家・旗本・町奴・町人・商人・農民に区分けされ、さらに親方と子方、主人と番頭・手代、家主と店子というふうに対比的に区別された。
 そういった髷のもと、女たちはぞんぶんに化粧をたのしんだ。西澤李叟の『皇都午睡』によると、当時の化粧は意外にも「男めきたる気性あるところがよろし」とみなされていて、男めく化粧を心掛けた。西澤は、そのてん上方は白粉を塗りすぎて、戸外で手鏡をとりだして化粧を重ねているのは女めきすぎていて、ことのほか見苦しいなどと書いている。

男の髷
 延宝元年(1673)、伊勢松坂出身の三井高利は江戸本町一丁目に呉服の越後屋を創業し、着物はもちろん首から上だけのアイテムでも眉墨・頬紅など9つの化粧道具を売り出した。のちの三越であり、のちの三井物産である。
 どうであれ化粧も凝っていったのだ。ぼくは資生堂の仕事をしているとき、佐山半七丸の『都風俗化粧(けわい)伝』(平凡社東洋文庫)に出会って、いかに徳川社会の女たちが化粧に長じようとしていたか、これはまさに最近の女性誌と同じだなと思ったことだ。この『化粧伝』のコンセプトはただひとつ、「色の白きは七難隠す」だった。これ、いまのメーク業界でも女性誌の特集でも継承されている。
 髪や顔のおしゃれは足元にも通じた。ただし足袋や履物を競ったのは関東風である。戦国時代は鹿皮の足袋だったのが、明暦の大火(振袖火事)で皮革の値段が急騰し、以来、木綿の足袋を履くようになった。長岡三斎の母が工夫したらしく、男は薄柿木綿の黒足袋を、女は白晒木綿の白足袋を常用するのがもっぱら一般化した。なかで紺足袋のスタートは関西風らしい。

 芸能ぶりにも東西の趣向はよくあらわれた。このことは、いまでも大阪の吉本のお笑いや、ちょっと前まで一世風靡していた上方漫才や松竹新喜劇であからさまなので、いまさら言うまでもないことのように思うだろうが、つまりは「たけし」と「さんま」で東西を比較するのは容易だろうが、ぼくはテレビ型「笑い」から日本芸能文化を説き始めるのは、やめたほうがいいと思っている。せめて鴈治郎と団十郎を、できれば一中節と常磐津を較べてほしい。
 芝居については、並木五瓶がおもしろいことを書いている。「京は皮、江戸は骨、大坂は肉」というのだ。これは「筋は骨、仕組みは肉、せりふは皮」をもとに三都の芝居を比較したもので、大坂で育って江戸で活躍した五瓶ならではの見方だろう。

 江戸歌舞伎と上方歌舞伎の違いは、『仮名手本忠臣蔵』の六段目を見ればすぐわかる。
 江戸では勘平は水色の紋服、切腹するのは千崎と腹に問い詰められて割り台詞のうちにいきなり腹を切ってしまうのだが、上方では勘平はあくまで漁師として芝居をし、死に臨んで武士に戻るというリクツになっているので、姿も漁師のヤツシ姿で、幕切れにおかやが紋服に着替えさせている。切腹も千崎と原が与市兵衛の傷痕を確認しているときにやる。
 江戸歌舞伎は様式性を重んじ、上方は近松以来のリアリズムなのである。この上方リアリズムの意図と意表がわからないと、関西の芸能は語れない。そこを吉本お笑い主義はぐちゃぐちゃにしてしまったのだ。せめて藤山寛美や浪花千栄子に戻らなくてはあきまへん。
 つまりは較べるべき舞台芸能のもともとは、西の浄瑠璃、そのあとの東の荒事歌舞伎なのである。ということは浄瑠璃すなわち義太夫節から東西文化を見るのがいいということだ。ようするに三味線がわからないと何もわからないということだ。

 まず古浄瑠璃が先行した。これは御伽草子の『浄瑠璃十二段草子』に平曲、謡曲、説経節などの節回しをつけて語っていたものが、永禄年間に琉球から蛇皮線がやってきて、ニシキヘビのいない本州では皮を猫に借りたところから三味線が生まれ、これがいったん上方地歌として流行した。まとめて浄瑠璃物語とか浄瑠璃姫ものと言われた。浄瑠璃姫と牛若丸の物語だ。
 これを盲人たちの特異な感覚が研ぎ澄ましていって、文禄期には三味線ものになった。早くも沢住検校などの名人が出た。続く慶長期に出雲の阿国や名古屋山三が四条河原で「かぶき踊」や「ややこ踊」を見せたのだが、その背景は浄瑠璃物語にあった。ここまではみんな西の出来事だ。
 そこに登場したのが杉山丹後掾と薩摩浄雲で、沢住検校に学んだ二人が寛永期に江戸に浄瑠璃をもちこみ、薩摩藩の島津の庇護のもと薩摩座をおこし、薩摩太夫を名のった。これが太棹三味線の大薩摩(おおざつま)というもので、その後の江戸歌舞伎の源流になる。関東武士にむけて武勇を豪快に語ったのだ。ここまでが古浄瑠璃の時期である。
 けれども、これは上方風ではない。そこで貞享時代(1680年代)、道頓堀に竹本義太夫が竹本座を開いて、まったく新しい声と三味線で浄瑠璃をつくった。その台本と構想を練ったのが近松門左衛門(974夜)だった。上方言葉を用い、人形を遣い、太夫と三味線を分けた。驚くべき芸能、いや芸術だった。すでに初期の『出世景清』にして、シェイクスピア(600夜)を超えている。

 義太夫節が確立すると、あとは一瀉千里だ。竹本義太夫と同門だった都一中は一中節をおこし、その弟子の宮古路豊後掾がここから絶妙の豊後節をつくりだして、江戸に流行させた。近松の心中ものの悲哀は人形浄瑠璃から独立して、三味線と声を通して江戸に響きわたったのである。
 こうして常磐津文字太夫と富士松薩摩掾が中棹の常磐津節と富士松節を打ち出して、「語りもの」はピュアな「歌いもの」になっていく。そのぶん江戸では人形に代わって金平物や若衆歌舞伎から女形が生まれ、江戸三座による本格的な江戸歌舞伎が誕生していった。こうなると「歌いもの」はさらに妙(たえ)なるものに磨きがかかっていく。日本の三味線音楽は富本から清元に至って至高のものになる。
 このへんのことは本書にはざっとしたことしか書いていないので、詳しいことはまた別の機会に千夜千冊するが、ともかくも上方と江戸を動いて三味線音楽は世界一の仕上げをもたらしたのだ。なかで、ウレイとクドキを攻めた新内節、江戸半太夫の流れを汲んだ細棹の河東節(かとうぶし)、市村座の唄方の露友がおこした荻江節などが関東風の味になっている。
 ちなみに三味線による伴奏音楽を、「唄の邦楽」として確立していったのが長唄で、これを自由にショートバージョンにして弾き唄にしていったのが端唄や歌沢である。小唄はこれらをさらにお座敷で芸者たちがつくりあげていった。小唄の多くは明治のものだ。

本條秀太郎と松岡正剛による「三味三昧 第一回『面影はじめ』」
邦楽名人の本條秀太郎さんと松岡正剛による、日本のあそびを堪能する格別のイベント(2014年11月13日開催)。端唄や歌沢に来場者が酔いしれたひとときとなった。第二回は2015年2月26日開催。
 ごく勝手な摘まみ食いで関西と関東の特徴を小鉢に盛り付けた。宮本さんの本書はもっといろいろなことに触れていて、たのしい。
 たとえば大阪にドートンボリ、ドージマ、ドショーマチなどドがつく盛り場が賑わったこと、江戸っ子にシャンとしてツンとするところが受けたこと、上方は「いなせ」「いさみ」「あだっぽい」がわかっていないこと、つまりは助六が関西では生まれなかったこと、けれども近松と西鶴の感覚にはなんといっても上方の「ええとこ」がみんな噴出していることなどを、強調していた。
 おそらく関西は出目をおもしろがる「きばりや」で、関東は筋目を通したがる「いっこく」なのである。

⊕ 関西と関東 ⊕

 ∃ 著者:宮本又次
 ∃ 発行者:飯窪成幸
 ∃ 発行所:株式会社 文藝春秋
 ∃ 印刷・製本:光邦
 ⊂ 2014年4月20日発行

⊗ 目次情報 ⊗

 ∈∈ 第一章 関西と関東の概念と境界
 ∈∈ 第二章 風土および風土心理から見た関西と関東
 ∈∈ 第三章 災害史から見た関西と関東
 ∈∈ 第四章 食物史から見た関西と関東
 ∈∈ 第五章 服飾史から見た大阪と江戸
 ∈∈ 第六章 芸能史から見た関西と関東
 ∈∈ 第七章 方言から見た関西と関東
 ∈∈ 第八章 気質から見た大阪と江戸

⊗ 著者略歴 ⊗

宮本又次(みやもと またじ)
1907年-1991年。歴史学者。大阪府生まれ。京都帝国大学卒業。彦根高等商業学校教授、九州帝国大学教授、大阪大学教授、関西学院大学教授、福山大学教授を歴任。専攻は、日本経済史、近世商業史。1967年、本書(『関西と関東』)で日本エッセイスト・クラブ賞、1971年、『小野組の研究』で日本学士院賞恩賜賞を受賞。1979年、日本学士院会員、1988年、文化功労者。著書に『大阪商人』『豪商列伝』(いずれも講談社学術文庫)『船場-風土記大阪』『キタ-中ノ島・堂島・曽根崎・梅田-風土記大阪〈2〉』(いずれもミネルヴァ書房)『宮本又次著作集』(全10巻、講談社)『小野組の研究』(全4巻、新生社)『日本近世問屋制の研究』(刀江書院)『近世日本経営史論考』(東洋文化社)『大阪経済文化史談義』『町人社会の学芸と懐聴堂』(いずれも文献出版)『五代友厚伝』(有斐閣)な

 関東のトンキンのオナゴは、
 こつまナンキンがたりんのではw


福島の件で、自民党と一緒になって菅直人を叩いていた女ですから、なにも不思議な話では無いな
まあ、小沢信者や山本太郎信者は有り難がっているようですがね・・・地元から自分だけ逃げて奥さんから愛想を尽かされた小沢一郎の支持者からすれば、菅直人を叩きまくった室井は有り難い女でしょうな

まあ、個人的にはフェミニストの大義名分そのものには賛成なのだが、現実の彼女らの言ってる事の内容は只の「女尊男卑」なので、私ら男性が賛同する謂れはありません
話半分程度に聞いておくくらいでちょうど良いでしょう


山本一郎(Ichiro Yamamoto)Cat face @Ichiro_leadoff

>仁藤夢乃さん、米山隆一さんに噛み付いて批判的発言がエスカレートした結果、「妻も夫の性欲処理機ではない」と踏み込んでしまい、性欲処理機扱いされた米山さんの奥さん・室井佑月さんの眉間にヒット、ピタゴラスイッチ的にブチ切れが発生するの、Vやねんだった阪神が予定調和的に連敗するのに似てる。

トゥーンベリ・ゴン @damarekozou35

>【緊急速報】室井佑月 vs 仁藤夢乃にフェミニストの王、石川優実が参戦。遂に集う運命を仕組まれたフェミニスト達。果たして、男女平等を望む女性達の物語はどこへ続くのか? フェミニズム史上最高峰の内ゲバは、怒涛のクライマックスへ。#拡散希望

Share News Japan @sharenewsjapan1

>室井佑月さんと仁藤夢乃さんが揉める → 【NEW】新刊発売直前の石川優実さんが参戦!

海乱鬼 @nipponkairagi

>ええどええど。ガッチリやりなさい。まあ、石川優実なら室井氏の方を応援する。皆さん、ここは室井氏の応援をヨロシクお願いします。本の発売直前だからねぇ。多分、石川が出す最後の本になるよ。石川優実より偉そうな奴は見た事ないけどなぁ。

みわ @awimwaim

>やばいどうしよう。クボユウスケがカッコつけて仲裁しようとしたら仁藤夢乃・北原みのり・室井佑月・加勢大周を怒らせちゃってさぁ、フェミニストから総攻撃されて石川優実さんと別れたら、全部私のせいじゃん。

◆【緊急速報】室井佑月 vs 仁藤夢乃にフェミニストの王、石川優実が参戦。【+登場人物紹介】 https://togetter.com/li/1800364

>当初はサクッとまとめるだけにするつもりでしたが、登場人物が多すぎて「この話題を追いかけてない人には分からないんじゃないか?」と思い、人物毎の紹介をする方針へ変えました。

メモ用 @QB5K1lSioP3eWVA

>ここまで『勝手に戦え!』が似合うバトルも無い。 もしくは『バケモンにはバケモンをぶつけんだよ!』的な? まあ決着がついたところで、何も得るものが無いのは確実だけども。

ビッター @domtrop0083

>誰か、決着ついたら3行ぐらいにまとめて教えて。


>女買って知事を辞任とか
この米山さんとかまえだっち次官みたいに、ウヨ連中が嫌う人達の方が、
交渉して同意を得ている分、女性と人間として向き合っていてまともなのでは。
ホテルに資料もってこいと美人政策秘書を呼び出してレ○プしたあと、
「元○察官僚の俺を訴えても無駄なのはわかってるな!」と脅迫した奴や、
青年会議所あがりのDQNが、パーティーで女体盛りで料理を振舞ったりする
保守政党議員の方が女性をモノ扱い。人間性はリベラルと較べるべくもなし。


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